何か人生を充実させたいのなら、褒めるのいいんじゃない?
タダだし。
なんか、別に特別に褒めるところなくても良いみたいよ。
ほら、オイラも語尾にサイコー!ってつけてればいいと思ってるし、他の人がどう思おうと、その基準で自分が思う必要ないし。
「俺今息吸ってる、すげえ!」
「目が見えてる、やったー!」
「パソコンの記事で笑えてる、感情あるじゃん!」
なんか、葉っぱ隊の歌詞みたいになってきた。
でも!このノリで自分完結で楽しむのもアリじゃんね。
他の人から認められるのはお金稼ぐこと以外のことはまあ、いいのかもね。
でも、認められるというより、なんらかのグループには所属したいもんだよね。
無趣味のオイラでも。
・かつて趣味を持とうとしてやったこと。
人生を充実させたくて、なんか楽しいことを見つけたくて映画とか読書のように手軽にできるもの以外で色々なものに手を出しました。
釣りをしに行ってみたり→中学生の時にイソメ気持ち悪いと思ったのに、なんか男の趣味な気がして海に行ってみるも、変わらずイソメが気持ち悪いので続かず。
ギター弾いてみたり→たいして興味がなかったけど、趣味の定番だったので。モテるかも、と。
キーボード、サックス、歌、この辺は1、2ヶ月レッスンに行って終了。音楽は一生の趣味になると思ったけど、カラオケで好き放題歌ってる方が楽しいまたい。
合気道、気功も一日体験みたいなのいったけど、一日で終わり。
あ、タップダンスもレッスン行ったな。2ヶ月分チケット買って、1ヶ月行く前にケガして行かなくなっちゃった。
自分で探し求めると見つからないもんなのね。
自分って探すんじゃなくて、もうすでにあるものだからかね。
小さい時にテレビゲームにハマってはいたけど、あれくらい情熱が沸き起こるものというのにはついに出会えなかったねえ。
今テレビゲームやっても、やっぱりハマれないし、なんだろう、報酬ないからか。
「こんなクリアするの難しいもの、タダじゃやりません!」って、お金払ってやらせてもらう方じゃないのか?
それで、まあ、これらの趣味が楽しめてないのは、上を見ちゃうからだろうな。
釣りにしても、ギターにしても、プロと呼ばれる人や、アマでもすごい人がいて。
それ考えて、なおかつ純粋に楽しめてない、と。
やってても何かにならないならやーめた!って感じだったと思うわ。
楽しめるのも、考え方や見方もあり、その人の性質もあり。
で、話を戻すと、『褒める』ってことは、つまりそれのいいところを認める、ってこと。
これ、考え方によってはいい遊びになるんじゃない?
人間、悪いとこ探すのは簡単だけど、いいところを的確に表現するのはやれる人をあまり見ない。
褒められたらうれしくない?
そしたら褒めたら、嬉しがらせたってことになるよね?
人の役に立つ、ってオイラが目的にしている、『人を好きになる』ことに大きく関わってるやね?
なので、オイラに失われたこれから色々なものを褒めたり、いいところを見つけていきたいと思います。
その活動をブログに書いてくうちに、ついでに愛や勇気も見つけられるといいよね。
ドラクエでいうチアサナメダルみたいに、メインの目的じゃなくてお楽しみ要素みたいな感じで。
あ、また探しものになっちゃうか。
最後に、まず褒めたい。
良いところがたくさんある、もうみんなを幸せにするものって言ったら、『ゴリラ思いのゴリラ』の写真だろうな。
勇敢で優しい。
それが、ゴリラの中のゴリラ。
そんな、ゴリラが全ゴリラ仲間を思い死地に赴く。
ほっこりするよね。