思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

感謝したほうがいい、ってよく見かけたもので、感謝してみた。

※この文章は特定の団体などとは一切関係はありません。

 

さて、ネット世界で情報を見ていくと、なにやら『感謝』すれば、自分の幸福度が上がるらしい。

感謝ねえ。

最初はするけど、いずれ慣れるものの代名詞みたいにとらえてるなあ。

もっと人格を向上させる素晴らしいものなはずなんだけど。

 

最近、心のこもった感謝って、してないねえ。

そりゃ、やったほうが良いんだ。

腹筋みたいなもんさ。

やった方がいいことをやり続けるのって毎日水道の蛇口を捻って水を飲むようなことじゃないんだよな〜。

意識と意志なのよ。

それもててたら、無職期間はそんなに長くないのさ。

 

でもまあ、とにかく思い立ったが吉日です。

はじめの一歩を踏む行動力だけは結構あるのよん。

 

まずは目についたものにまず感謝してみることから始めてみます。

 

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仕切り直して。

 

改めてどうも、Kaiです。

ブログ見てくれてありがとうございます。感謝感謝。

 

今回は、「納豆」に謝意を述べたい。

 

納豆。

いわずと知れた、腐った豆。

大豆が発酵することによって、あんなにも臭くなり粘り気が出る。

 

まず、発酵させてくれる菌に一度感謝。

 

そして出来上がった納豆は主に3つでひとパックとなり、スーパーなどで並べられる。

そして、価格は衝撃の48円。

これも売っているスーパーに感謝。

 

そして、それをおひとり様2つまでというたくさんの人々にいきわたるようなスーパー側の気持ちに応えて3パックほしいところを一つ買い物かごから戻し、すかさず夫に「帰りスーパーで納豆買ってきて!」とlineを入れる。

やさしい夫に感謝。

 

買ってきた納豆には、激安だったからか、あの甘さとしょっぱさが絶妙なバランスで配合されたタレがついていない。

こちらの身体が塩分を取りすぎないように考えてくれていて、感謝。

 

納豆のフタをひっくり返すと中のほうが少し枠がついていて、納豆本体の上に被されていたフィルムをそこに収められるようになっていて、そこにも感謝。

 

そして、納豆をかきまぜる。かき混ぜられるこの手に感謝。両手よ、ありがとう。

 

かき混ぜられた納豆の粘りはその粘り強さに「あ、かき混ぜればかき混ぜるほど粘り強くなる、社会でもかき混ぜられれば粘り強くなるんだ」とその日本海の荒波をほうふつとさせてくれる生命力を見せてくれて感謝。

 

一度、一緒に口に放り込まれるご飯にも感謝しとこっか。

 

そして、口の中

運ばれる納豆&白飯。その生まれたときはつるつるで白かったやつが、時を経て黒くなり腐っていく豆の変わり具合は、小学校のときのあいつによく似ている。

あいつ、どうしてるかなあ・・・。とテレビの前でつぶやく自分。

そこでまっとうに高校まで出してくれた親に感謝。 

 

そうしてかみ砕かれた大豆は体内に入り、適宜栄養となり、こうしてオイラに文章を書かせてくれるんです。発祥の地、水戸に感謝。

 

 

もし仮に、納豆を作ることができなくなり密売される世の中になったなら。

納豆の密売人がみんな納豆臭くなるので、雨の日まで待って、靴をびしゃびしゃにして、ストーブで乾かせるところで取引する世の中になる。

 

納豆のある、世の中に感謝。

 

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なんか、やってみて鬼滅の刃の猪之助の「ほわ・・・」みたいなやつ発生するかと思ったら、そんなことはなくめっちゃ真顔だわ。今。

これ積み重ねていけば心があったまってくるのかね?

 

素材はいいでしょ?

納豆は普段あって当たり前でなこなか感謝しないものだから、最初感謝するにはいいと思ってやってみました。

 

やっぱネテロ会長の鏡パンチが感謝というものの一つの完成された形のかねえ。