思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

水が合わない。→→変化に前向きに!

これはですね、オイラがとあるシェアハウスにいた時に感じたことですね。

 

29歳の時だったかな。アットホームな感じのシェアハウスで、10人くらいで一緒に住んでいて。

 

オイラは年長の方でした。

 

そこの住人は大体の人は優しくて。

こんなオイラも優しくしてくれました。

 

ただですね。

オイラがいけないんでしょうか。

なんとなく、うしろめたいんですね。

 

みんなは、何か持っているように見えたんですよね。

例えば、大学生でこれから就職するので、その前に少しシェアハウスに住んでみたかった人とか。

IT系の技術があって、どこででも働けるスリーランスの人とか。

タレントのようなモノになりたくて、一時的に住んでみている人とか。

 

それと比較して、オイラは特に夢も希望もなく、むしろそれを探してそのシェアハウスに辿り着いた状態。

それでいて、大体の住人はオイラより若くて。

 

その人たちは別に何かそのことに触れることはないんだけども、数ヶ月住んでいるうちにいづらさを感じてしまってね。

 

 

みんなの飲んでいる水は飲みやすい軟水。

オイラの身体はファンタで作られている。

美味しいですよと軟水を差し出されても、「オイラの身体の70%は極めて甘い炭酸水だから・・・」とは言えず、軟水でファンタを薄めている状態。

求めているものが違う。

 

そうしてシェアハウスを出ることにしてしまった。

 

優しさが痛い、って感じで。

 

その環境が厳しくしても反発し、優しくしても居心地が悪い。

 

ちょうど良い湯加減がない。

 

全くもって、自分はどこにいたらいいんだろう、と思って自らをたらい回しにして生きてましたねえ。

 

でも、さっきはファンタなんて言ったけど、人は日に日に変わる。

 

せっかく、水がファンタのような土地があっても、その頃のオイラは「がぶ飲みミルクコーヒー」になっているかもしれない。

 

そういう意味では、今、こうして相方と落ち着いて暮らせているのも、地球に生命が誕生したような奇跡な起きているのかもしれない。

 

 

p.s.水が合わないということは、変化のチャンス。

なにか違うことをやってみよう。