思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

平身低頭。→→必殺技!

うちの両親に対してですよね。

 

まあ、オイラは小さい時からあまのじゃくでして。

 

大きくなったら社会に適応されるようになっていけば良かったんだけど、相も変わらず物事を斜に構えて見てしまって。

 

世の中に溶け込めず、何をやっても続かず。

 

一般の人よりかけ離れて親を安心させられてなかったですね。

 

なのでもう、基本的には親には平身低頭の気持ちですよ。

 

ただ、今でもたまに会うと、どんなに申し訳なく思っていても、ストレスを感じちゃうんですよね。

 

子どものことが心配なんでしょう、説教みたいなのが始まっちゃう。

そう、父ちゃんは、無類の説教好き。

 

 

 

説教って「相手のために」と言ってたりしますけど、つまり自分が言いたいことを言いたいように言ってるだけのことが多く、たいてい反感を買うことが多いですよね。

 

怒り口調でもうすでにわかってることをくどくどと言われても、と。

オイラがそれを聞いて気持ちが前向きになるようなことはない性格というのはわかっているはずなんだけどな。

 

しかし、親には迷惑をかけっぱなしのオイラはじっと我慢の子。

 

平身低頭を貫くことにしております。

 

 

まあ、仮にこれ、一緒に住んでいていくらご飯食べさせてもらってたとしても毎日のように詰められていたりすれば、親だったとして顔を合わせたくなくなりますよね。

そういう人も世の中にいるんだろうにあ。

 

 

そういうことでこれ、今オイラは地元から離れて住んでますが、「親がいつでも帰ってこい」とったところで生返事しかできないですもんね。

 

 

「いつでも帰ってこい」

 

「あー」

 

「いつでも帰ってこいよ」

 

「うん」

 

「いつでも帰ってきて良いんだぞ」

 

(作り笑いでうなづく)

 

 

いや、言ってくれるだけありがたいですけど、一緒に暮らしたらまた説教始まって、たまにでいい平身低頭が、常時頭を地面にケツ上げて生活するようになっちゃいますって!

 

対抗手段がないよ〜、飯食わしてもらって住まわせてもらってたら。

 

やっぱり、言葉だけで人を動かそうというのはお門違いかな、と。

 

そうして欲しかったら、言葉以外の振る舞いや、行動もなくちゃ人は変わらないもんな気がするね。

 

たとえ息子のためだと言って、例えば「毎日お前のためにお寺にお参りに行ってくる」っていうのを365日できる人はそうそういない。

まあ、それをしたところで変わるとも限らないんだけど。

 

人ってのはやっぱり人が人を思う本気に心動かされるものなんだ、と今は思ってたりしますね、はい。

 

思ったことを言ってるだけでこっちの気持ちを考えない説教(説教の本来の意味からずれてる?)では、人ってのは動かざること山の如しでございますよ。

 

p.s.平身低頭は、世を渡るための必殺技。ここぞというときにぶちかまそう!