いやあ、この言葉。
昔、思いましたよ。
要は素養がないことは簡単にはできないよ、ということですよね。
20代のころ、今まで全くやったことのなかったキーボードをやってみたかったことがあって。
まず、1万円台のキーボードを買ってみたけど、てんでなにをやったら正解なのかがわからない。
今ほどYoutubeが流行っていない時代。
そりゃ押したら音は出るし、楽譜も調べれば読めるけど、指さばきが合ってるのかどうかとか、日々何のレッスンやればいいのかとか、ネットで調べるだけじゃ腑に落ちない。
本能ではまかなえない問題。
小さいときに習っていたことのある人を羨ましく思いながら、お経は習わないと読めない、ということで調べると、ちゃんと近くの○AMAHAにキーボード教室がありました。
さっそく体験レッスン。綺麗な設備で先生も音楽家っぽい穏やかさで、いつもの、「とりあえずやってみよう心」でキーボードを習ってみることに。
「キーボードが弾けると人生が豊かになるぞ。プロまでとはいかなくとも、特技になるし、今まで聞いてきた曲のキーボードのことも深くわかったり。」
1ヶ月ですね。続いたの。
飽きっぽいから。
習わぬ経は読めないし、習ったキーボードも弾けない(続かない。)
ただこの言葉、習わぬ〜と言ってるけど、一般的に経に興味がないってことが多いですよ。
なら、何か目の前にあるからといって特に試さないのは、『自分のことをわかっていて労力を使わない頭の良さがある』という言葉ですね。
※『習わぬ経は読めない』シチュエーション。
・習わぬ経は読めない。鮮やかにも。
もちろん経は読めない。
そして、それは鮮やかにもならないですよ。
鮮やかだったら読めててしかり。そうですよね。
・習っても無色透明な経は読めない。
バカには読めないお経!?
でも読めるっていう人は暗記してる人と区別つかないよね?
さらに言えば、まだ習ってる途中だったら読めないよね。
・習わぬ経は、ざんぶりと波に漂ってても読めない。
練習、逃げてきちゃったのかな。
漂ってみたんですかね。読めないから。
ただ、そこには教えてくれる人はいないから、もう帰ろう。帰ろうね。