思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

80歳になる往年の女優が復帰会見。 今の心境は?【映画大喜利1000本ノック】

映画大喜利

 

 

Q.

 
80歳になる往年の女優が復帰会見。 今の心境は?
 
 

 

 

 

A.

 

おもちが喉に引っかかったような気持ちです

 

 

 

 
 
 
 

大喜利元ネタ

 
 
 
 
 
『死ぬまでに観たい映画1001本』より、56本目。
以下、ネタバレ備忘録。
 
往年の大女優が過去の栄光にすがりつき、若い脚本家の男にもすがりつく話。
 
しょっぱな、脚本家ジョーの死体がプールに浮いているところから始まる。ナレーションはそのジョーの声だ。
そしてどうしてそうなったのか、過去を振り返る。
 
ジョーは売れない脚本家で借金を背負ってにっちもさっちも行かなくなっているところで、偶然、往年の大女優ノーマと出会う。
 
ノーマは自分が女優としてまた脚光を浴びることを夢見ていて、自分が主役の脚本を執筆中。
 
そこで、借金だ車を持っていかれそうになっていたジョーは、金になる予感がして、脚本の手直しを提案、そこからノーマとの付き合いが始まりまして。
 
ノーマは自分のそのしなびた屋敷で仕事をしろ、と言い、ジョーを囲います。
 
しかし、ノーマはもう過去の存在。
さらに時代の折り目で方向転換ができず、いまだにサイレント映画向けの脚本を書いている始末。
まさに、時代の遺物状態。
 
それでも、ジョーは金のため割り切って仕事をするも、ノーマは普段若い男との交流もないからか、いつのまにかジョーに惚れてしまうんですね。
 
そこからは年老いた女のしがみつき映像。
 
若い女とちちくり合おうものなら嫉妬で自殺未遂も起こしたりして。
 
まあ、その顔が魔を発する女。
 
目の見開き方が、今にも人を呪いそうな感じで怖いんですよ。
 
 
ある時、ノーマは自分の脚本を映画会社に送り、その映画会社から電話が来て。
 
それを喜んだノーマは直接映画会社に出向きます。
 
過去仕事をした監督を訪ねて撮影現場に行くんですが、彼女にとって恋焦がれていたものと同じで。
 
しかもそこでは役者や撮影関係の人たちばかりで。
 
彼女のことを知っている人ばかりで、チヤホヤ。
 
彼女の映画への想いは燃え盛ってね。
 
ただ、電話は彼女の脚本の話ではなく、「その古くて味のある車貸して!」ってことたんですが。
 
一方ジョーの方は、彼女に隠れて若い脚本家志望の女性=ベティと共同で脚本を執筆。
 
少ない時間なれども、ジョーはおばちゃんの元を離れてやれたいことがやれて、とても充実している様子。
 
しかしそれを気づかぬノーマではなく。
 
ベティに電話をして、ジョーのことを話そうとします。
 
何かが切れたジョーは、その若い女性をサンセット通りにあるその屋敷に呼び寄せ、自分がヒモであることを告白。
 
好き同士になっていた二人でしたが、ベティは友人の婚約者。
 
そうすることで、友人を裏切るのをやめようという考え。
 
そのあとジョーは、屋敷を出て行こうと荷物をまとめる時、ノーマに客観的現実を突きつけるんですね。
 
ノーマも何かがキレて。
 
私は女優・・・みたいなことばかり言って自分の妄想の世界と現実の世界を行き来しているところでジョーを拳銃で撃って殺害。
 
ジョーも言い過ぎでしたね。言いたくなるのはわかるけど、とりあえず、難を逃れてメールかファクスにしたためて送るべきでした。(そんなものはない)
 
それで、最後の大場面。
 
狂ったままノーマは現場にかけつけた警察と取材にきた報道陣の前で、女優として最後の演技をします。
 
もうたっぷりと時間をかけて、警察や報道陣を塗って、屋敷の階段を降りて行き、ジ・エンド。
 
この作品はなんていうか、今の自分の立ち位置を認識できない不幸を感じましたよね。
 
あと、執事があるシーンで告白した、ノーマが16歳のころからの信者である、っていうのに衝撃。
 
凄みを感じる。
美にはその価値があるんだろうか。
アイドルの追っかけが監督の立場から始まって崇拝まで行き着いたのかね。。
 
しかも、夫から執事て。本人はご納得済みみたいだけど。
 
いつの時代も強烈な人というのはいるものなのかもしれない。
 
余談ですが、バスター・キートンが出ていることに哀愁を感じましたよね。
 
まさに、サイレント映画時代の大スターがチョイ役での出演となってね。
 
栄枯必衰、諸行無常の響きあり。
 
 
 
製作国
監督
 
出演
ノーマ・デズモンド:グロリア・スワンソン
ジョー・ギリス:ウィリアム・ホールデン