思ってもみないことばかり。

40代で父親に。ボケ、大喜利、『思ってもみないこと』を書きつづっております。

いつか、私は家に居場所がなくなるの?


妻の出産は帝王切開だったので、まだ入院しており傷口が痛い中、赤ん坊の娘を抱っこしたり、ミルクをあげたり大変な様子だ。
しかし、面会に行くと妊娠中に比べてかなり口が回るようになっている。
つわりを中心とした具合の悪さと食欲のなさが一気になくなり、かなり軽快になったようだ。

ドラゴンボールで言えば、修行で背負っていた亀の甲羅を脱ぎ捨てたあとにジャンプ力がかなり高まっているような状態だ。
「こんなにマシンガンのように話す人だっけ?」というくらいしゃべりまくっている。
なんにせよ、元気な姿を見れるのは、嬉しい。
それとも、好きなものがそばにあるからのテンションMAX状態が続いてるのかもしれない。(赤ちゃんはものではないが、今までで一番の宝ではあるし)
そうして子どもが成長するにつれて夫はないがしろにされていくらしいが、私もその道をたどってしまうのだろうか。
それを回避するには何か方法があるのだろうか。

そのためにはちょっと耳を引き伸ばして、そば粉にまみれて『地蔵』になる日があっても、良いのではないか。
普通に生活をしていて果たして誰かに「ありがたや・・・」と言われる日はあるだろうか。
一般の人間は後光が指すことがないので、そういった機会はまずないだろう。
そこで、週一ペースでそれを言ってもらえる機会を作り出すのだ。
毎週金曜日に地蔵に変身し、拝まれることで、私の必要性を認識してもらうのだ。
これで、妻と娘とどんなに軽んじられても、そのうち娘に同じ洗濯機で下着を洗わないで欲しいと言われても『お父さんは地蔵な一面もある』ことで、金曜日にはありがたがられることが一家の家長としての威厳を保つことにつながるのだ。

まだ赤ちゃんの娘を見ていると、どこかに神性を感じる。
我が家ではそれぞれがおがみおがまれ、そこに感謝の気持ちが生まれることに重きを置く家にしたい。
いつか「なんで私を産んだの!頼んでないのに!」と言われたときも、私は娘に感謝していたいし、娘も、「でも、なんかいつも地蔵のコスプレとかして楽しませてくれたし、ありがとう。感謝。な〜む〜」となるはず。なるはずなのだ。