妻が入院して、病院からの呼び出しの電話ソワソワしながら待っている。
夜も寝れていないのだが、そんなのは妻のほうが陣痛もあり、より寝れていないことだろう。
妻にLINEをしても陣痛の辛さのせいか、なかなか返ってこない。
どうせ寝れないからと、にかく待ちに待ち過ぎてめぼしいNetflixのドラマをかけ流して、私なりに私の気を紛らわしていたのである。
そうして時間は、すでに陣痛薬を服用してから30時間を超えた。
ずっと、気持ちは、落ち着くことがない。
それにしても、こんなにも電話がいつ来るかいつ来るかと待ち遠しく思うこともない。
しかし逆に、お腹の赤ちゃんは『まだ出たくない、まだ出たくない、まだ出たくないんだぁ!』と、この世に生まれ出て自分の足で生きていくことから逃げるかのように留まる、というよく分からない態度を決め込んでいるかのように思える。
それ以外に、まだこの世に生まれ出てこない理由はあるのだろうか。
まだ、前世が終わってないのかもしれない。
魂がまだふわふわと浮いて妻のお腹の中に入れる状態じゃなく、どこかの今際の際の老人が息子たちが遺産相続で口ゲンカなんてしている中遺言の話をしたり、一人一人に語りかけ思いを託そうとしている頃かもしれない。
もう、あと数時間で産まれる、というのはそういうことなのだろう。
魂にしたら、死んですぐ次の人生に直行する形だ。前世を反省する暇なく大慌てで、我が子の身体に重なりにくるのだ。
そうして、この世でまた、人生を学びに来る。
もしかしたら、そういった前世から今世へすぐにスライドした魂が、やれインドの片隅の村でロナンおじさんの浮気を三回見ただとか、スリランカの繁華街で煙突掃除をやり残しただとかいうのを、3歳くらいまで成長した時に語ったりするものなのだろうか。
先ほどの例でいうと、とりわけ、前世の息子たちがきちんと遺言を守れたか、骨肉の闘いが続いて良からぬ事件になっていないか、気になって毎日ニュースをくまなく見たり、年齢不相応に「新聞を取ってくれ」と言い出すのかもしれない。