思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『サンドイッチ』


クワガタがサンドイッチをはさんでいるのはどこかほのぼのするが、サンドイッチの中にクワガタをはさんでいるのは殺伐としてしまう。

サンドイッチはパン調理の王道だ。
耳をとったパンに卵、ハム、ツナなど何をはさんでも、それなりに美味しい。美味しいのだ、それなりに、だが。

オイラはこの方40年、本当に旨いサンドイッチを食べたことがない気がする。コンビニのものも、自分で作ったものも「これだ!このサンドイッチだ!」と、最高のものに出会えた記憶がない。
あの漫画の中で食べられている何気ないように描かれているがおそらく究極のサンドイッチを、交差点でも夢のなかでもいつでも探しているのだが見つかっていない。

と、その前に言っておきたいのだが、オイラはこの数年、身体のために小麦制限生活をしているのであった。
どうやら身体に合わない小麦というのがあるらしく、今は子供のころに食べたほど朝食にパンを食べなくなってしまった。
そんなオイラだが、死ぬまでにとびきり旨いサンドイッチは食べてみたい。
しかし、小麦制限をしている関係上、色んな店や喫茶店で買うのも気が引けるし、故に食材を買って自分で作ることすらままならない。
旨いサンドイッチを追い求めるか、それともそれを諦めて静かに日向ぼっこをして余生を過ごすか。

そう、ジレンマである。
サンドイッチだけに。
板挟みにしてこようとするのだ。

試練である。
これを乗り越えなければ、オイラの求める究極のサンドイッチは手に入らないというのだろう。
それならば、オイラはこの時点で諦めることを声高らかに宣言するしか無い。
小麦を取らないことで元気と健康に挟まれることこそが『至高のサンドイッチ』だからだ。

そう、サンドイッチとは必ずしも口にいれるものとは限らないのだ。
もしかしたら、繁華街で看板を持って無言で立っているサンドイッチマンは、それを生業として数十年も経っていればはさまれることの究極性を理解しているはずだ。

その看板に挟まれる仕事がかすかにでも究極のサンドイッチを見つけるヒントが見えるのなら、止まっているだけでなく歩くサンドイッチマンであるのなら、それも健康と元気のために、やってみたいものである。