思ってもみないことばかり。

40代で父親に。ボケ、大喜利、『思ってもみないこと』を書きつづっております。

ツボ押しの、可能性。


自分で押せるはずなのに、人から押してもらうのがいいもの、それがツボなようである。

妻のつわりがはもうすぐ出産、というタイミングになっても辛そうだ。

そこでいつも私は気を紛らわすために、妻の足の裏のツボ押しをしている。

幼少の頃から、父の足の裏のツボを押す毎日だった私は、妻の具合が悪くなる前から頼まれることが多かった。
足の裏のツボは、押された人の癒やしと引き換えに押した分だけ疲労がたまる。

がゆえに、小一時間ほど妻の足を押し続けていたら、左まぶたが上がらなくなるほどの疲労を覚えたりしたこともあった。

カルシウム不足気味なときには骨折の心配もしなくてはならない。

それでも私は押し続ける。

なぜなら、『押す』という行為には、GOサインだと、私は考えているだ。
かつての松本人志監督の作品『しんぼる』では、小便小僧の男性器を模したボタンを押すことにより世の中で様々なことが起きる、というアーティスティックな表現がなされていた。
つまり、私たちが誰かのツボを押すことによっても何かしらのGOサインが出て、なにがしかの変化をもたらすことだってあるはずなのだ。
それは例えばどんなことか。

押せばサンプルの音源のようなものが鼻歌で流れてくる、というのがある。
リラックスしてうつ伏せになっている人のツボを押した位置によって、カシオの低価格帯キーボードについてるサンプル音源を流すボタンのような感覚で、押された人の鼻からサンバやマンボのハミングが聞こえてきたりするものなのだ。
また別のパターンの人は、押したツボの位置に寄って「アッ」とか「ウッ」とかの50音が散りばめられている人もいたりしるかもしれない。そのときはこっちが鼻歌を歌ったりすれば、その合いの手にもってこいだろう。
さらに、もしも仮にその合いの手を発する人が殺されたならば、ダイイングメッセージとして『腰の第二関節、頭頂部、足の付根、手の平真ん中指1本分下』と血文字で書かれれば、その人のツボ押しを毎日している探偵が押したときに発する声と照らし合わせて「ヤッマッウッチッ」という名前がすぐに頭に浮かび、即時、犯人逮捕につながるはずだ。

ツボというのはそういったこともあるかもしれないほど、未知の存在なのだ。

 

そもそもなぜそこを押せば健康になるのか、そのメカニズムもわかっちゃいない。
例えば、高橋名人のそれのように16連射でツボ押しをしたならば、また違った我々の知らない効果が身体に現れるだろう。
そしてそれは、16連射で名人がスイカを割ったのと同じようにツボ16連射で頭が割れるかもしれない危険な行為だ。しかしその16連射のリスクを乗り越えてこそ、我々が到達していない人体の未知の扉はあるのだ。