思ってもみないことばかり。

40代で父親に。ボケ、大喜利、『思ってもみないこと』を書きつづっております。

ものを粗雑に扱ってきた私でも、子供を大切にしたい。

パンクした自転車を修理に出したものを取りに行ったらチューブ交換、ということだった。
特に何か鋭いものを踏んだ記憶はない。
店員さんに話を聞いたのだが、空気が少し抜けた状態で走るだけでタイヤとチューブが擦れて傷ついてしまうらしい。
思えば、私はものを大切にすることが下手だ。
割ったコップは数知れず、愛用のノートパソコンは水をこぼしてしまいキーボードが半分くらい効かないし、前乗っていた自転車はパンクしたまま走ったせいでホイールも変形し自転車屋に買ったほうが早いと言われるも捨てられず、そのまま駐輪場にある。
ミニマリストとしては、あるまじき行為だ。
ただ、私としてもわざとやっているわけではない。不注意とだらしなさという人間が人間たらしめるメカニズムのせいで、そうなっているのだ。
それでも、私は父親になる。
当然、生まれてくる子どもを大切にするつもりだ。
しかし、不注意とだらしなさで、赤ちゃんを抱っこしたとき、落としてしまわないだろうか、という不安はある。
絶対に落とせないその状況で私にできることはあるだろうか。

高い高いならぬ、『低い低い』である。
持つ時は常に床上2センチで持つ。こうしておくことでもし落としても大事にはならない。
『高い高い』というのは普段の生活とは違う高い視点で周りを見ることが赤ちゃんにとって楽しいところだと思うのだが、『低い低い』は普段の高さとほぼ変わりはない。なので、非日常感を味わってもらうためにはよりいっそう普段味わえない「速さ」が求められる。
抱っこするときは赤ちゃんを低姿勢で2センチ浮かせながら、部屋の中を駆けずり回ってあやしてあげる決意を固めたい。さながら妖怪のような動きになるかもしれないが、それが万が一落としてしまってもケガしない、唯一の方法となるなら、私は一反もめんにでもタコ入道にでもなるだろう。

そんな一大決心をさせるくらい、子どもは大切にしたい、と思う親は多いはず。犠牲はいとわない。
そう、そんな気持ちが湧いてくるわたしたちは、すでに幸せだったのだ。
たとえ自転車のチューブが妖怪のいたずらで穴をあけられて修理代が3500円かかったのだとしても。