思ってもみないことばかり。

40代で父親に。ボケ、大喜利、『思ってもみないこと』を書きつづっております。

ししとうをおいしく食べられる子に育ってほしい。


ししとうがこんなにも辛い食べ物だとは知らなかった。
幼少期にピーマンが苦いと感じていても、いつの間にか食べられるようになっているものだが、ししとうは違うと思う。
家で食べるししとうには、ピーマンのような自身が成長するにつれて気づく隠れた優しさを感じない。
ただ辛いだけ、独りよがりの厳しさだけがそこにあるのだ。
しかし、そんなししとうを妻はバクバク「美味しい」と言って食べまくる。不思議だ。

そんな好き嫌いがハッキリと分かれるような食べ物である『ししとう』だが、これから生まれてくる子どもにはこの食べ物に関して父と母、どちら寄りの遺伝子を多く受け継ぐのだろう。
もし「ししとうを美味しく食べる能力」を親からの授かれなかった場合、ししとうはどのように扱えばよいのか。

「産地に返しに行く」という旅の目的にするのが正解なのではないだろうか。
「食べられなくてごめんなさい、また土に埋めて育て直しをお願いします」という気持ちを伝えに行く過程で、個性的な人々との触れ合い、風光明媚な自然景観を眺め、すばしっこい小動物を追いかけ逆にクマやイノシシに追いかけられるような冒険めいた旅をする。
そして、ふと、「ししとうがなかったら、この旅のきっかけがなかったな」と思い返し、感謝することだろう。
目的地が近づくほど、ししとうを強く握りしめながら「ありがとう」という回数が増えるのである。

もちろん旅に出れば、辛くないししとうや辛めのピーマン、もしくはそれに似た人間にも出会い、ししとうを食べられるようになるきっかけがあるかもしれない。
そうして旅の途中で得た色んなししとうを集めたものに穴を開け、首から下げるネックレスにすれば、それはもう何にも代えがたい各地をつなぐひとつなぎの宝なのである。