思ってもみないことばかり。

40代で父親に。ボケ、大喜利、『思ってもみないこと』を書きつづっております。

尻の褥瘡に「40代で父親になること」を考えた。


ケツの割れ目は痛くはないが、最近その上部に傷が出来て痛くなった。

20代の頃、心臓の開胸手術をやった影響があるのか、未だしっかり残っている胸の術跡がたまに疼くことがある。
生まれてくる子どものためにも身体のメンテナンスはやっとかなきゃならん、と病院へいくことに。
診てもらっている病院は電車で一本、1時間ほどかかるところで、電車の中ではずっと座りっぱなし。
そして、病院に着いてもレントゲンや血液検査をして診察まで1時間半ほど座って待ち、さらにまた座って1時間、電車に揺られることになる。

このアホみたいに暑い夏。

帰ったらすぐにシャワーを浴び、着替えのパンツを履いていると、なにやら腰の下の方、尾てい骨の上あたりが痛い。
嫌な予感がし、手で触ってみると、そこには小さくはあれどジュクジュクした傷が。

このとき私が思ったのは「これ、若いときには出来たことがないタイプの傷だな・・・」ということだ。

この秋に父親になる予定の私。
子どもを守り育てるためには踏ん張っていかなきゃならん、とは思っているものの、身体の衰えは始まっているのではないか。
すでにガタがきはじめてるのではないか、という予兆をオイラはこのケツの割れ目の上の傷に感じたのだ。
ではいかに、この身体を家族のためにうまく使えばよいのだろうか。

一番貢献できそうなのは、毒見である。
怪我しやすくなったり、病気になったりしてわずかな稼ぎもなくなったのなら、徹底的に無駄を排除するため、多少賞味期限が切れたものは私が一口ガブリ、とかじって食べられるか食べられないかを妻と子どもに示すことで家族のなかで役立っていきたい。
さしあたって、落としたミニトマトやからあげなどが何秒までならセーフなのか実験してノートを作っておけば、いざそうなってしまったときその食べ物を捨てるかどうかの目安にもなるはずだ。
そうすることで父の日にはちゃんと「パパ大好き」と言ってもらえることだろう。
父親はいつだって危険な橋を渡らないと認めてもらえない。

まだ子どもが生まれてきてないのでハッキリとは言い切れないが、そのまま行けば私は誕生日を子どもに祝ってもらえるはずだ。
その時の誕生ケーキが、子どもの誕生ケーキを落としたものを「パパなら食べられるか」と1、2ヶ月冷蔵庫に入れてあったものだとしても、無論、かまわない。
そこに身体にガタが来ても立ち向かう、男らしさを見せられるなら。