思ってもみないことばかり。

40代で父親に。ボケ、大喜利、『思ってもみないこと』を書きつづっております。

新たな家族を迎える前の、災害に対する心構え。

家の近所で非常ベルの音がした。
なかなか鳴り止まないので、ベランダから顔を出してみてもどこの家からだかわからない。
そのうちに家の目の前のマンション近くに消防車がやってきて、ベルが鳴ったり止んだりしていたが、ここにきて私にちょっとした戦慄が走った。
非常ベルが鳴ったときに、逃げ出そうという意識が1ミリもなかったことだ。
もし本当の火事だったら、我々は丸焦げになっていたかもしれない。
これがスマホから津波や土砂災害の警報だったら、すぐに動けず、家で窓の外を見てヘラヘラ笑って突っ立ってることを想像する。
正常性バイアスである。
「ま、大丈夫、大丈夫」と落ちたものを食べるような軽い気持ちでいると、首都直下型地震のような本当に死に直結する危機が訪れるのは想像に難くない。
しかし、「たいていの場合はなにもない」ことが身体にしみついてしまっている私が、おそらくもう一回非常ベルが同じ外のマンションから鳴ったとしても、慌てて非常用袋を担いであわてて裸足で外に飛び出ることができるとは思わない。
ならば、危機を知らせるサインがあったときに飛び出す行動を取るには、どうするか。

飛び出したくなるようなターザンロープを向かいの電柱につないでおくのが肝要ではないだろうか。
ベルは非常事態を知らせているのだから、正常にあり続けようとする意識を非常的なターザンロープでこれまたターザンのように雄たけびを上げながら家の窓からストロークする危機意識の準備が必要だ。
また、「たぶん大丈夫だろう」が頭に出てきても、非常事態になったならもう「アーアアー」というターザン語だけを心象言語とすることで、迷いなく最短で外に出る行動がとれる。
命を救うのはいつだって、ターザンのようなワイルドさなのだ。

もちろん、警報が鳴っても被害がない場合だってある。
しかし、それでもただ「無駄だった」と思うより、そういったときにときおりターザン語を周囲に出しておくのは良いだろう。
その声に引き寄せられたカラスや猫などの動物たちは、本当に災害がくることを知っているものもいるだろうから、ターザン語を出しても動物たちの姿が全く見られないなら、もしかすると危険はすぐそこに、差し迫っているのかもしれないのだから。