思ってもみないことばかり。

40代で父親に。ボケ、大喜利、『思ってもみないこと』を書きつづっております。

妻が実家に帰ったときの、心のスキマに注意。

 

妻が実家に帰ったときの心寂しさは、格別である。
一人、体育座りを長い時間したくなる。
しかし、これは赤ちゃんが生まれるまで。もう、子どもが生まれたならばいつも心に我が子を抱いている気持ちになるので、たとえ妻がいないロンリーナイトだとしても、私は動じずに強い気持ちで体育座りができると思う。
寂しさへの対抗には、希望と想像が大切なのだ。
なにも、希望の対象が赤ちゃんじゃなくても、推し活のあの子とか、毎週買ってる宝くじとか、そういったものでも、もちろん良い。なにか芯になるものがあれば、毅然とした気持ちでいられるものだ。
しかし、そうでないとき。
心のスキマを埋める悪しき誘いは、その希望が小さくなってるときにやってくるのだ。
「心のスキマ、お埋めします」そう言って悪魔のささやきをするアイツがやってくる。
果たして、寂しとき希望がないとき、その黒い誘いを迫ってくるその悪魔が裸足で退散するような対策は、何かあるというのか。

『くさや』である。
やはり、人は臭いとき、もう何も考えられず、スキマもへったくれもあったものではない。
しかし、実はこれがその寂しさを紛らわせることにもなり得る。
くさやだけではそのうち鼻が慣れてしまうので、ヨーグルトの腐ったのだの、雨の日で濡れた靴下だの、そういったもので『生きてる実感』を感じ取ることで、「ああ、俺は生きてるんだ」と目が覚めて、仕事に家庭に精を出せるものなのだ。
もちろん、怪しい笑顔でよってくるあいつも、撃退できるはずである。

ただ、妻と離れて寂しいときに、「香水をつけてる妻のあれと同じような香りを嗅ぎたいなあ」などと思い、いかがわしい店になだれ込むのなら、それは実は魔の誘いとなっていることを念頭に置いておこう。
いつだって、壁や電信柱、車のブレーキランプの上あたりなどからも歌舞伎のような強い睨みであなたをいつも「見ているぞ。」