思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『親せき』


親せき一同が集まって「食え食え」言うのはなくなっていく可能性はあるのか。
親せきが集まってやることと言ったら近況報告と、一緒にご飯を食べる、ということに尽きる。
そして、ホスト役のおじさんおばさんが、料理を作りまくり、大量に食卓に乗せ、「食え食え」が始まるのだ。
と言っても、我ら日本人はそんなに会話が上手な民族ではない。歳も違えば、価値観も違う。下手に腹を探られたり、譲れない主義主張を刺激すると、ピラニアに噛みつかれるかのような手痛い打撃を受けかねない。
たまに会う人とそんな風にやり合うくらいなら、自分たちが何か相手の役に立つことに派手に振り切った方が少なくとも禍根を残すことはない。
それが食べ物ということになり、ニコニコしながら会話代わりにモノを食わそうとする、という塩梅だ。
なかなか「もう食えない」が言えない。

こういうことにこそマナー講師が「もういりません」のマナーをそれぞれの協会の垣根を超えて話し合って統一して流行らせてものだが、それを待っている間にも親戚の集まりは無軌道にやってくる可能性がある。
やはりそういった場合は前もって断りを入れるのがベターかなと思う。

「私には癖がありまして・・・腹八分目になったらGO皆川!のウンチョコチョコチョコピーって、あれ、やっちゃうんですよ」と言うのはどうだろう。

まさか、そんなバカな、とおじさんおばさんは思うだろうが、そこを実際やってのける。もちろん、腹八分目と言っておいても、七分目にはウンチョコチョコ、と言い始めよう。
「そろそろ、ウンお腹が、ウンチョコ、いっぱいに、ウンチョコウンチョコウンチョコピッピッピッピ」と、あの芸をやられたら、さすがにあちらも引いて、「食え食え」と言わなくなるだろう。それで、その後沈黙になったとしても、一度ウンチョコもといウンコをしにトイレに行って仕切り直しもできる。

親せきの人たちがもてなしたい気持ちはわかる。
それならば、ぜひ次回呼んでいただけるなら、ボディエステをしてもてなしていただけたらな、と、誠に勝手ながら思う。
おばさんに習っていただいても、エステティシャンを呼んでいただいてもどちらでも良い。
そうなったら、毎日通わせていただいて、より親密な親戚づきあいができると思った次第である。