思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『憂い』


100円だけ使ったあとのクレーンゲームには、憂いがある。
たまに、遊びとしてそういったことをやるのだが、お金を入れて数十秒、アームを握る力は弱くほぼ100パー、リトルグリーンメンは少し持ち上がって、仰向けがうつ伏せになるだけなのである。
本当にクレーンゲームは、遊びにしては楽しめる時間が短すぎ、憂いの時間が長い。
逆に言えば、気軽に憂えるものの代表格なのである。

とにかく、多くの人間はこの世を憂うためにやってきた、といっても過言ではない。
基本的にはやりたいことなど、できないからだ。モテたい、弁護士になって人の役に立ちたい、最高級のステーキが食べたい。
競争が始まり、皆走れるだけ走り、最終的に歩みを止め立ち尽くす。
あとは憂うだけである。

歩みを諦めた人たちに、せめて何か良いことが降り注いでほしい。

そうだ、憂いを帯びたら、瞳がブルーになれば良い。
せめて、競争を、夢を諦めた分だけ、瞳がブルーになって行けば良い。
目がキレイなのって、素敵だから。
金持ちになれなくても、素敵になれれば良い。
そんな風潮が起きれば良い。

現実にいる、憂いを帯びた瞳を持つおじさん、それがオイラである。
しかし、全く絵にはならない。
それでも、明日を生きていこう。
まだ、憂いの眼差しで見つめられる、この世界に、太陽がある限り。