思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『沈没』


沈没と聞けば、タイタニックかそうじゃないかでまず話が別れることになる。それほどまでに、ディカプリオ氏が与えた影響は大きい。
タイタニックが9割なのはまず良しとして、あとの沈没は、もっぱらスマホであろう。
風呂に入っているとき、釣りに行ってルアーと間違えて投げてしまったとき、長トイレのあと立ち上がった際に手が滑ってしまいリアルタイムで自分の身体に必要のないものと最重要のものが、溜まった封水で合体したとき、、、悲しみは絶えない。
そんな中、スマホを差し置いて、タイタニックの次に悲しい沈没がある。

『成人で泳げない人の背泳ぎによる沈没』である。
大人になっても泳げない中で、勇気を持って背泳ぎに挑戦することは、世の中にはある。
例えば、ジムの無料プログラムの中で背泳ぎを教えてくれると、7、8人集まったとして。
先生から「仰向けになって、バタ足をしてみましょう。その時、腰を上げてくださいね。」くらいのアドバイスで、「はい、やって」になったりする。
おとなになって泳げない人は、その情報のみで仰向けになり、プールの端を蹴飛ばす。
そして、当然、水の中で腰なんて上げらず、手を伸ばし足をバタつかせながらみんな沈没していくのである。
ジムの無料プログラムという、時間が少ない中でそれっぽく教えなくてはならない先生の工夫はお察しするが、十中八九沈没していくさまは、悲しい。

しかし、これがカップルでそのプログラムを受けていると話は変わってくる。
タイタニックのように愛する人と一緒に沈めれば、そこに悲恋味が付け加えられる。
気の合う二人だ。きっと、同じタイミングで沈んでいくことだろう。
その悲哀も相混ざって、それはもはや『悲恋のシンクロナイズドスイミング』と言っても、過言ではないのである。