思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『マシ』


「〜よりマシ」と、何かと比較して自分を落ち着ける技法が、人間にはある。
死ぬよりマシ、ニンニクマシマシよりマシ、まやかしよりマシなマムシ・・・
また、例えば『こんなんでもカレシがいないよりマシ』という慰めのつもりだったのに日増しにマジになり、そのカレシがカラシをサシミの乗ったスメシに塗り、ワサビがないことをダマシダマシムリして過しているようなスケコマシだったとしても、心は移ろいゆくこともある。
そういった色恋沙汰の中、出てくる有名な慣用句に一つ疑問を呈したい。
「あんなヤツと付き合うなら、死んだほうがマシよ!」
である。
『あんなヤツ』が、嫌なヤツだったとして。
死後の世界は一瞬たりとも考えなかったのだろうか。
血の池地獄、針の山地獄、石を何段積み上げても崩される・・・そんな中で何百年何千年時を超えなくては、逃れられないのかもしれないのに。
知らない世界の可能性を考えると、『あんなヤツと付き合う』とVSさせるのには少々危険だ。
もう少し、比較対象をマイルドかつちょうど良く、人が理解しやすいようなものはどんなものなのか。

『鼻の穴の塞ぎ具合』というのはいかがだろうか。
「あんなヤツと付き合うくらいなら、鼻の穴にスイカを詰めたほうがマシよ!」
これはこれで一大決心であるが、ちょっと無理である。さっきの死後の世界を考えて、もう少し現実味で実行することで付き合わない代わりに実行できる、その本気度を示せるセリフが良い。
「あんなヤツと付き合うなら、鼻の穴にマリモようかん詰めたほうがマシよ!」
さっきより現実味を帯びてきたが、やはり小さくなった分、その決意の程が弱まってしまう。
なので、もう一つアクセントを効かせてみよう。

「あんなヤツと付き合うなら、鼻の穴にマリモようかんを詰めて毎日クラブ通いしたほうがマシよ!」

これはなかなかの罰ゲームである。
クラブとは出会いの場でもあるが、意味不明の行動がゆえに出会いの可能性をゼロにして、ひそひそ話の種になりに行く、そうした方がマシというのだ。
もちろん、そこで手を広げて、音楽に身を任せて、トランスすることだろう。鼻が塞がっているので、怪しい薬を鼻から吸い込むこともない。
この比較にて、周りの人にどれだけ『あんなヤツ』と付き合いたくないか、また、「死んだほうがマシ」のときの(死後の世界があるかもしれないのに?)という疑問も生まれず、スッと理解と同情をされ、店頭に売っている「お守りとして持っておきな」とマリモようかんを渡してくることだろう。

現在のところ、たいていのことは、死ぬよりマシだ。
上記の比較対象、「死んだほうがマシ」は、死後の世界がわかったときにまたブームなどが来て、常用があらためてはじまるのかもしれない。