今回のテーマは無職である。
オイラが無職歴がそこそこに長いのでテーマになった次第だ。
まず、カッコいい無職とはなんだろうか?
それは、心の底から「仕事をせず、人に使われない誇り」が外側に滲み出ている人のことである。
悟空やベジータがスーパーサイヤ人が故にその周りが黄色や赤色でオーラを可視化されているが、それが仮に無職であるが故の誇りのオーラであったらそれはカッコいい無職だ。
女性が必ずしも金持ちというだけの優男と結婚しない理由がこういったところにあるだろう。
しかし、大半の無職になった人間にはそんな誇りがあるわけがない。
ヘッドハンティングでもされていなければ、無職になったことで自信をなくしハロワ帰りに近くの公園で次の認定日まで子供の砂遊びを見る毎日なのである。
そして、周りからの憐れみやサイレントマウンティングを勝手に感じだしたりして、人と関わりたくなくなっていく。
無職は悪いこと、といった風潮を五感全てで感じることもしばしばなのだ。
しかし、やりたいことや好きなことがあればある意味無職期間も有意義な時間になるのかもしれない。
だが、オイラにはそのやりたいことがほとんどない。
多少やりたいことというのも、時間にして5分くらいの術後の鼻洗浄くらいのもので、これをやっておくと鼻の通りが維持でき息がしやすいからだ。
オイラは無気力人間であり、時間があってもお金はない、仮にお金があってもやりたいことは別にない。
今は食う寝る焦る、仕事もやりたいことも見つからない状態が長い期間ある。
買い物に行った時も相手がこちらが無職であることがわかるわけはないのに遠慮しがちで、「無職なのにからあげクン3パックも食おうとしてるんか」とか「無職だったらコンビニじゃなくスーパーで88円のお茶買うだろ、ってか2リットルのほうがコスパ良いだろ」とか思われているんじゃないかと頭の中でささやく係がいたりするのである。やかましいよね。
ただ、無職だろうと自称YouTuberだろうと今の時代は美味いものがコンビニで気軽に食えるのはとてもいい時代である。
そしてその後は調べた情報を色々取り入れて、「人の役に立つことは何かないか」とか「息が吸えていれば素晴らしいんじゃないかとか」そんなことを意識しながら、やることがなく脳が鈍っていくのをなんとか少なくしようとしていたりもした。
学生時代だったら暖かくやりがいっぽいものを与えてくれるマルチにハマってたんじゃないか?とも思う。
そんな中、オイラはある答えにたどり着いた。
それは、「死ぬまでに人にどんな影響をどれだけ与えたか」を今からでもできるだけ相手に良いものにしていくことが大切なのではないかな、と。
その考えでいくとたとえ仕事をしていても人に多大な迷惑を与えているならば、今は無職でも小さな迷惑の方がマシだろう、という捉え方ができる。
といっても、また仕事をしていくわけで人と関わらなくてはいけないのであり、そのあたりは毎朝出てくるイナゴの佃煮を食べる気持ちで慣れるまで我慢しなくちゃいけないけど。
さらに無趣味なオイラが次の人間関係を円滑にできるように、話の種として歴史の漫画を読んで見ている。
こうした雑学があると、コミュニケーションに役立つかもしれないからだ。
こうしてブログも書くことで、来たる日に備えて考えをまとめることも上手くしようともしている。
いざというときのコミュニケーションのとっかかりを持っておくことをすることは無職の一つの拠り所になりうるだろう。
無職だとあんまり喋らなくなる。
そんな時は、家庭用カラオケのメガホンみたいなもので歌うも語るも落語するのも、あなた次第である。