ミンミンゼミの鳴き声のみでの社内コミュニケーションにTRYしたい。
そんな会社こそ、賞賛される世の中であって欲しい。
そうした『やってみる』ことの先にはとんでもないお宝が眠っている可能性があるのだ。
そして、人は生きているうちに何度でも、TRYしたいものが浮かび上がる。
ふんどし履くのもいいだろう。
おかずは味のりのみで一ヶ月暮らしてみるのも悪くない。
鼻からでっかいスイカを出すのも、人生で一回くらいはいいのかもしれない。
世界はTRYに満ちているのだ。
そんな自分、世界の未知の可能性を感じながらも、安易にやってはいけないTRYもある。
例えば、「ウインクでの求愛」である。
意中の相手にそのままそのメッセージが届けば良いが、そのウインクの行き着いた先がたまたま歩いていた14、5年先輩の口ぐせが「みんなと一緒にいるこの瞬間、大切にしたい」みたいなどこかのDJっぽいことばっか言ってる上司に当たってしまったり、たまたま飛んでいたバッタに当たってしまったりして、届かなかった場合、それらとの誤解による変な空気感を共有しなければならない。
バッタと世帯は持ちたくないだろう。
やはり、求愛は、文をしたためたほうが確実だ。
大抵のTRYは、人生経験にはなる。
しかし、面倒なことが起こって取り返しがつかないことも起こりうる。
ちなみに、オイラは『片眼鏡』にTRYしたいと思ってるが、その際はアルセーヌ・ルパンと間違われてもしかたないというリスクを背負っていこうと思う。
軽い気持ちでTRY、しかしそれを続けていくなら最終的にはなにかしら煩わしさがでてくるもの。
ならばお試し段階からそのリスクを受け入れる心構えをしておくことこそが、礼儀作法ではないだろうか。
オイラはTRYに関して、ルパンのように紳士でありたい。