電車やバスで、他人のバッグがこちらの身体に当たることがある。
何回も当たっているのだが、特になんの配慮もなく、更に追加で何度も身体に当たってきて、まるでコンサートのマイクテストの「ツーツーハツーツー」のようなリズムでオイラのひざに伝えるのである。
「何かのSOSか」とも考えたのだか、その人の周り特に誰かいるわけでもない。
なので、バッグを当てた謝罪をバッグを当てたモールス信号でしている、ということで、納得した次第である。
生活していると、メッセージ性のあるリズムが刻まれることがある。
布団に入っているときに『家鳴り』が関西G1のファンファーレだったり、冷蔵庫ができた氷を落とす音がドラえもんのオープニング曲の一部みたいになることも、有り得る。
オイラは偶然それが流れたら、きっといいことが起こるはずだ、とスクラッチくじを買おうと思っている。
そのメッセージ性のあるリズムを起こす存在はきっと良いことを起こしたいに違いない。
ならば、それを起こすきっかけを作るべきと考えての行動だ。
まさか、存在側も道端に100万円を置いておくわけにも行くまいし、それを拾って使うのは躊躇してしまう。
「私はいつでもOKよ」と目をつぶってキスを待つ少女のように、そういったお膳立てをしてコトが起きるのを待つのが、そういった音が鳴ったときの楽しみ方なのだ。
先のバスの例で言えば、惜しいかな、メロディを感じなかった。
もし、オイラが人にカバンが連続で当たってしまうようなとき、とっさの修正でもって誰にでもわかるメロディを奏でて、その当たった人にハッピーを降り注ぎたい。