思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『アイス』

 
「好きなの知ってるでしょ!?なんで!?」と思うことがある。
この間、相方の知り合いにサーティワンでアイスを買ってもらった。その他にハンバーガーも注文していて、オイラが受取るまで時間がかかり、その間に相方と知り合いはアイスを買いに行ったようだった。サーティワンでアイス買ったよ、ということで楽しみにしていたのだが、オイラに当たったアイスの味はチョコミントとコーヒー。
あれ、なんか違う。確かに、チョコミントに関しては好きは好きだが、全然テンションが上がらない。顎に人差し指と親指を当てて考えたところ、原因はどうやらコーヒー味のアイスにあったようだ。
・・・全然気分じゃない。というか別に好みじゃない。パピコだけで良いと思っている味、それがコーヒー味だ。
相方と二人でサーティワン食べたとき、ストロベリー系とか、チョコチップ系とかうまいうまい言って食べたことなかったっけかな、と首をかしげるも、いつものように宝塚歌劇団を参考にした笑顔で感謝を述べつつ、ぽっかりと心に穴が空いたような気がして。
もう一押しで涙がキラリ、となったかもしれない。
 
しかし、これが、オイラがアイスを買ってもらう前に「なんでもいいよ」と言っていたら、また違ったであろう。
コーヒーに対して、「お、なんでもいいっつったらコーヒー買ってきたか」と、アイスに対して挑戦的になれた気がするのだ。
望まずにコーヒー味を買って来られたときには、「あんたはどうせこれ好きなんやろ」の的が外れていた悲しみがアイスにトッピングされてしまっていると思うのだ。
こちらから「なんでもいいよ」という言葉をいうだけで、味覚が変わるというのは本当に不思議だ。
 
ただ、「アイス買ってきた。なんでもいいでしょ」という言葉がなかっただけ、マシである。
思いやりが少なければ少ないほど悲しみの想像で頭がいっぱいになり、アイスを食べたときの「キーン」している時間を長く望み、「キーン」目的でアイスを食べることになりかねない。
 
その後のフォローとして、ヴェルタースオリジナルを誰かにもらって特別な存在ということを確認されることくらいしか、その悲しみは拭えないのである。