思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『コンビニ』

 
コンビニエンスストアの利便性は追求されているのだろうか。
以前にメルカリで売れた荷物の宅配をコンビニでお願いしたのだが、店員が外国人だった。
こちらが荷物を送りたい、と伝えるとトイレで全ての個室が閉まってるかのような困り顔。説明をしても、言いたいことが伝わっている感じがしないのだ。
結局その店員さんが誰かを呼んで対応をしてくれたのだが、その人も外国人。
「ユウソウですか?」と聞かれるも、独特のイントネーションでこちらにはすぐに伝わらなく「帰ろうかな」と一瞬思いながらも、なんとかレジの操作をされ、受付票も渡されたので、帰ったきたが、きちんと届くか不安感が拭えずしばらくの時を過ごした。
他にも、家の近くのあるコンビニでコーヒーを買ったとき、110円でわざわざ手渡しでコーヒーをくれるのだが、これも見てると次のお客さんが待っており、忙しそうである。これをしてくれたからといって、オイラは次回このコンビニでコーヒーを買うというプラスポイントにしようと思うわけではないので、「このサービスやる必要あるのか?」と思ってしまう。
だが、都心の同名コンビニでは普通にコーヒーのカップだけ渡されてセルフで機械から入れるシステムだった時には心の交流のなさを寂しがる自分がいる。
オイラが仮にロボや機械であれば、マシン同士の交流として、そのコーヒーマシンの細い管から出るコーヒーに温かみを感じたのだろうか。
それはそれとして、つまり言いたいことは利便性を追求した結果、日本人が「こんな給料でやってられっか」となり、外国人しか人が集まらなくなってることによって、お客さんにコンビニエンスをちゃんと感じさせているかどうか、ということだ。ならばいっそのこと、レトロな感じが雰囲気を醸し出している、昭和からか細く続けている自動販売機にしてはどうか。ボタンを押したらうどんやラーメンが出てくればいいし、アイスやたこやきも自動販売機はある。
無駄なものを一切そぎ落としたそのスタイルは、今の時代にこそ必要なのではないか。
 
なんやかんや言ったけれど、コンビニを通り過ぎたら二礼二拍手一礼をしなくてはならないほど有難い存在ではある。
最後に、コンビニ業界を応援することとして、直営店とオーナー店が家からの距離で1kmくらいの差しかない場合、オーナー店で購入しよう、ということを心がけているくらいである。