思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『スタバ』

 
スタバでよくパソコンを操作している人は、家で作業をするよりも集中できる、ということだ。
そういう人は、なぜだかどことなく小洒落た雰囲気だったりする。
ドレスコードがあるのか、と勘繰ってしまうそのスタバにはほとんど入店したことのないオイラも、ブログを書くために、先日改めて店を利用してみた。
 
確かに、調度品の色調、照明、店を利用しているお客さんが醸し出す「スタバにいるからにはスタバっぽくしなくちゃ」感が、落ち着く雰囲気というものが用意されているのは感じる。
しかし、当初オイラは落ち着かなった。
その「用意されたリラックスムード」が逆に落ち着かなくてはいけない、tぴう気持ちを生み出して、それはまるで尻から手を突っ込まれてガタガタといわさせるかのように奥歯が震えたのである。
まあ、そうはいっても10分ほどで心臓もトクトクと微妙なテンポアップからトクン…トクン…と、ときめきを覚える速度に落ちていき、オイラも徐々にそのスタバ風景の一員にはなってきた気がしたが、結局、近くに座っていた年配のおじさんとベトナム人のなにやら気の置けない間からのような会話が気になったりしてブログが進まない。
 
それでも家にいると、長い時では朝昼晩と三食を終え、サブスクの映画・ドラマを見て、一度8時間ほど寝てまたドラマ三食を終えても書き終えてないことなどはザラに状態。
それが小一時間ほどで書き終えることができた時には、「スタバマジックは存在する!」とどこかの船長が処刑される前の最後の一言のような気持ちが湧きあがってきた。すごい。
 
なんでこんなに店舗数が多いのか。
それはみんながオイラと同じことを思ったからである。そして、その店舗数でも賄いきれないくらい、人はスタバを感じたいのであろう。
しかし、近場のスタバはまだ悩みなき小学生の髪の毛ほどぎっしり席は埋まっていて、抜けてもまたすぐ生えてくる毛のように心配なく、立った席にはすぐ別の人が座ってしまう。
そんな時のテイクアウトは、みんなが家でスタバを思いだす次善策なのである。
思い出す要素としては、味や香り、コップの手触り。それからイマジネーションを掻き立てて、まるで漫画がその辺に投げ捨てられておりユニットバスに取れない水アカがついていたりする6畳一間の部屋でも、柔らかみのある木々のテーブルやイスとあの温かみのある灯りが目をつぶればそこにある。
 
オイラはさらに、お金がどうしてもかけられない人にはスタバに入る前にコンビニコーヒーを飲み干して、チョコチップクッキーだけを注文し、舌と鼻に残るそれをスタバの空間とマッチさせ、コンビニコーヒーでスタバを思い出す、という方法をそのどうしても、の人に提案したい。
提案したい、ただそれだけの気持ちである。