思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『ラッキー』

 
食いつきの悪い海外製ドッグフードが円安の影響でフリマアプリで約二倍の値段で売れた。日本に住んでいて、なんとか生活費をひねり出そうと懸命に知恵を絞っていた小市民に起きた、ラッキーである。円安が日本にどれだけの経済的なマイナスがあるのかはわからないが、単純にうれしい。
ともかくウンはべっとりとつけておきたい。
 
個人の運の総量は決まってるともいうが、もしそうならこの間くら寿司に行ったときに当たったびっくらポンで当たったキャラモノの缶バッジは返したいし、いつもぎりぎり間に合っている一本早い電車は、オイラを乗せず行ってほしい。
 
オイラは、幸運はうちの生活スタイルの要である『節約』のように、普段は運を使わずにここぞというときに爆発させたい、と思っている。
クラスで好きな子と一緒になれなかったり、2時間並んだ挙げ句ラーメンのスープが切れたりするのも、いずれ宝くじを一枚だけ買って億万長者になる運を掴むための布石なのだ。いや、布石だと思う。布石なんじゃないかな。ま、そう信じて、とにかくオイラは手の甲に宝くじの矢がマトに刺さってるマークが浮かんだらそれを合図にくじを買いに行こうと思っている。選ばれた証だろうから。
 
それを掴むために、トラ柄の財布でも、赤いふんどしでも、身につけることの検討を加速したい。
でも、そんなことをせずとも、もしかしたら今この瞬間にも、オイラの頭頂部から後頭部にある髪の毛に隠れて、クーちゃん模様に血管が浮かび上がっている可能性もある。しかし、それをオイラは確認することができないのだ。
そう、やはり幸運とは、そうそう目で確認することができないものなのである。