思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『スポーツ』

 
逆転の可能性が高いものほどスポーツ中継を見る。
必然的に9回裏ツーアウトになってもまだ大どんでん返しがある野球、ということになる。
オイラも、某野球チームのにわかファンになったことがあるのだが、ビールと乾き物をお供に最後まで試合を見ていた時期もある。
同じくメジャーなサッカーになると、3点差にもなるともう試合中に逆転しないこともあり、目的地についた猿のように、さっきまで集中していた目の前のものを急に興味が薄れ『ながら見』することもしばしばだ。
バスケ、バレー、テニス、ラグビー、どれも観戦していて大差がつくと『ながら見』になり、結局のところオイラは努力した人たちが勝利することの共感だけをしたいという、お裾分けするとも言ってないのに「これ、僕の分ですよね」と言ってまだあげるともいってないものを両腕で囲ってキープするような人になっているのかもしれない。
 
そんなオイラが40代にしてこれからやっていくスポーツといえば、水泳やジョギングだと思っている。
戦う相手は他人でなく自分であって、そこに「逆転」はない。
続ける間に「なんか少し腕の周りが絞れている」ことや、「前屈したら手のひらがつくようになった」ということが昨日までの自分に対しての勝利なのである。
 
野球の9回やサッカーの90分間のように短い時間でドラマチックな逆転劇などはその辺に落ちているわけではなく、あくまで現実はちょびっとずつちょびっとずつの変化なのだ。
 
それを理解したら、一発逆転の夢を見て6億totoBIGを買うのもありなのではないかという気持ちにもなる。
国はどんどんおでこが広くなっていく額のように可能性の薄まる人々の自暴自棄を封じる目的で、そういった希望も残している。
頭の中ではみんな週刊誌の最後のページに写っているようなうさんくさい笑いを浮かべ大量札束を両手にポーズを決めることができるのだ。
まったく、宝くじは人生一発逆転の可能性を保たせる心のセーフティネットなのである。