思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『テレビ』

 
家のテレビは、積極性をもって見る気はない。
とは言っても、ついていたらついつい見てしまうのだが、もっぱら旅番組、音楽番組、歴史番組と、オイラにとって与えられてる感が強い「気持ちいい番組」となっていて、いつしかそのほかの番組がかかっていてもそれらの番組を探してから、ついつい見ることになっている。
 
ついつい見る以外には、もうテレビはオリンピックorサッカー日本代表戦級のどうなるかわからないハラハラドキドキの生放送しか見るものがない、という至極一般的な感じに陥っていて、気持ちよくなりたい一心でテレビの角でこめかみをマッサージしてやろうか、などと思ってもみたが、一つまた見てみたい、と思うものがある。
ドリフである。生放送の。
正確に言えば、ああ言った芸達者な人たちがしっちゃかめっちゃかしてなおかつなにか想定外のこと起きるかも、という体育館での校長から発せられるありがたいお話とは真逆のようなワクワクを感じたいのだ。
 
しかし、いまや長時間、生放送の舞台で笑わせてくれる番組は、よしもと新喜劇くらいのものだ。
この番組でハプニングを期待するなら、乳首ドリルでそのうち吉田裕の乳首が取れるくらいの凄惨なものになってしまうのではないか。
その際には、捻ってない方からはひそかに母乳が出ていようなハプニングを、人は求めているのかもしれない。
 
結局はそういったハプニングの可能性があるものを、ハプニングを期待しないでなんとなく見ているのが一番感情の振り幅があって楽しい。
今のところ、それはワイドショーかニュース番組であり、どこの家もしかたなく一日中おんなじニュースが放送されるのを流し続けてハプニングを心待ちにしているのである。