※大喜利元ネタ
■市民ケーン(1941)
『死ぬまでに観たい映画1001本』より、41本目。
以下、ネタバレ備忘録。
メディア王が最後に口にした言葉から、その意味を探るため新聞記者たちは、彼の愛に飢えた孤独な人生を辿る、という話。
養子になって金持ちにさせられちゃったけど、実はお金はなくてもより良い人生を送れたんじゃないか、と渇望しながら死んでいったのでしょうね。
「バラのつぼみ」って、言葉がとても切ないものに感じるのが、この映画のエモーショナルなところ。
有名な朝食で妻との関係の変化を描いたシーン。
こういうの、コントでも見たことあるなあ。
同じ位置にいて、どんどんじいさんばあさんになっていく、っていう。
そしてケーンがまた自分のことしか考えないんだよなあ。
自分のために二番目の妻に歌いたくないっつってんのに自分が笑いものにされるからと、無理やり歌手にさせようとして受けたくないレッスンを教えても無駄だと思ってる講師に頼んだりして。
まあ、オイラもこういう姿を見て人に無理やりものを頼むもんじゃないな、と。
相方に「この映画名作だから見てみなって!」って言ったら、しぶしぶコタツに足入れてテレビ画面の方に首向けて、この作品見てるんだけど、セーフでしょう。
いや、気をつけましょう。
まあ、愛してほしいから何かを与える、ってみんなやってるけどねえ。
なんか、本当に引くところがないから「コミュニケーション下手か!」と言いたくなっちゃうけど、親に愛されなかったという原因があるからなあ。
誰もがいう素晴らしい人間、っていうのはお金ではそうならないのは承知したけど、どの要素がその素晴らしい人間となれるのだろうか、などと頭に浮かびつつ。
なんだか前評判が良いような作品だったので、どんなものかと視聴しましたが。
オイラのような精神年齢が高くないものにとっては100歳くらいまで寝かせておいても良いような、見る時を選ぶような作品でしたかね。。
製作国
アメリカ
監督
出演
ジェデッドアイア・リーランド:ジョゼフ・コットン