思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『回転寿司』

 
回転寿司の注文した品が自分の席の目の前に到着する仕組みは、中華のターンテーブル以来の画期的な発明だと思う。
むしろ、この間に何も発明されなかったのが悔しい。
そのうち、その回転寿司が缶ジュース感覚で街中で買える時代が来るまで生きていられるだろうか。長生きしたい要素の一つだ。
このレーンで寿司が流れてくる、というのは人を感じさせないところが人によっては良いところの一つにもなっていて、注文はもちろん、配膳も人が持ってくることもなく支払いまでもが全て機械仕掛け。
ついつい割高な子供用オレンジジュースくらいは追加で飲んでしまおうか、と思うほど、気楽なのである。
しかし、全く別のタイプの声出し声かけて営業してくるタイプの回転寿司屋もある。
そういうところは握る人がカウンターにおり活力に満ちているし、雰囲気が明るく、システマテックというより、人と人との関わりでサービスを提供してくれる。
頼めばチェキくらいは撮ってくれるのではないだろうか。
もちろん、寿司には温もりを残っておらず、旨い。
 
人と人との距離には好みがあるので、どちらが良いということはないが、オイラが望む寿司を運ぶ距離は、住んでいる賃貸住宅の部屋の階までレーンで運んでもらえるくらいの距離が、おそらく今は心地よい。
でもまあ、人と人との距離はその日の気分によって変わるから、次の日にはすし職人とネットカフェのペアシートでプレステをやってるのかもしれない。
 
まあしかし、送ってくるレーンの距離が遠い場合、その寿司の酸化は免れない。
距離をとり過ぎるのも考えものである。