思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『平和』


トイレが一つしかないときに、争いは意外と起きる。

きちんと並んでいても、「すいません、漏れそうなんで!」と自分勝手に列を抜かそうとしてくるヤツとは、クソバトルは必死だ。殺伐とした空気さらなる加速を見せる。
そいつの肩をつかんで絶対行かせない「クソを漏らすば諸ともよ」精神で、そこに阿鼻叫喚に似た、短いバトルが始まる。
なぜ短いかは、おおよそ漏らすタイミングは近くなり、どちらかが漏らしたら終わるからである。
そこには平和のへの字もない。
ウンコを我慢してるときのガス抜きテクニックとしての『屁』の字はあるが。

ハトに脅かされる平和が、駅前よくにある。
誰が言ったかハトが平和の象徴なんて、食べようと思ったパンを少しでも転がり落とそうものなら、ハトとの対決の始まりである。

平和の象徴はハトなんかではなくて、奪い合いの起きない「酸素」などにすべきであろう。
たしかに、酸素であれば一見そういった平和協会のシンボルにはなりづらい。
だが、高原やアイドルの空気を詰めた缶が世の中に商品としてはある。
その缶をシンボルにするのだ。
逆にハトをマークにするよりその缶をマークにすれば、パッケージにメッセージを込められるというものだ。
ぜひ、一考いただきたい。

平和とは普遍のようであるが、世の中の変化に合わせて平和側も変わっていっていくものだ。
いままでの常識を変えること。
やはり今は、一周回って中世のようにその辺のワキでウンコができる気運を高めること。
おまるを街中に置くことが、争いの種を一つ、排除することになり、また一歩、平和に近づくことになるのである。