思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

疑心暗鬼って、いろいろな角度でものを見る力が養われるよ。

けっこう長い期間、本をけっこうな量、買ってて。

 

ほぼ毎日、家に本が届いてたんですよ、いろいろ。

めんどくさいの解消の仕方の本とか、腸を良くする食生活の本とか、潜在意識とかのことが書いてある自己啓発本とか。

 

まあ、悩むことの解決をその道に詳しい人本を書いた人に求めた、ってことね。

 

といっても、本というのは読後の

 

「よっしゃ!この本を読み切ったからやれる!俺はやったるで!」

 

にお金を出しているようなもので、風船のように放っておけばすぐにしなびていくもの。

 

一度空気を入れたら、漏れないようにテープなどの補強が必要で、その補強として次々似たような本を買ったりもして、ちょっとした自己啓発沼にハマっていた時期もあったんだよね。

 

それで本を毎日のように買っていたら、見かねた同居人の相方に、

 

「そんなに本買っても置くところがないでしょ!もうそれで終わりね!」

 

と、部屋がせまくなることへの注意をされたりして。

 

 

ま、その忠告はすぐに消えてしまって、それからも何十冊かかったんですが、そのうち考えが変わって。

 

「あれ、もしかして本買ってるだけじゃ変わらない・・・?」

 

「結局めんどくさいのとか、筋トレが続かないのとかを精神面の知識を得ても、行動できてない・・・?」

 

 

そう思い始めたから、ある時から本を買うのをピタリと辞めてしまった。

 

 

しかし、本が届いたときに相方は普通に買った通販の商品の宅配が来た時。

相方がまた苦言を呈そうとしているかのごとく、オイラの方を見ている気がする・・・

 

注文したのはうちのワンちゃんのおもちゃなのに。

 

 

「本は月一冊って言ったでしょ!」

 

 

ってまた言われるのか、と思う疑心暗鬼 状態。

(自業自得ではあるけど)

 

 

実際、届いたダンボールをあけたら、

 

「あ、本じゃ無かったのね。ふーん。」

 

と言われることも。

 

届くダンボールに、相方の視線が痛い生活を繰り返しながら、最近どうせ視線が痛いなら、とまた本を買い始めちゃったりしてます。

 

でも、今度は置き配にしようとしておりますよ。

相方の目をくぐり抜けるために。

 

p.s.疑心暗鬼になると多角的にものを見れるようになるよね。良いよね。

 

 

 

 

無理矢理

 

・いじらしいほど、疑心暗鬼。