思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『おみやげ』


どこぞの民族のマスクやら仮面やらをおみやげとして買ってこられた場合、意図的に呪いたいのか、マスクの意志なのか、判断に困ることだろう。
おみやげとは、普段自分では買わないが、持っていくと喜ばれる、そんな品である。
なので、もみあげはおみやげにはならない。
木彫りの熊や、赤ベコなんかは旅行に行ったときの代表的なおみやげだが、それと同時にもらっても困ってしまうものの代表格でもあるので、もらう方の胸中はお察しする。
しかし、おみやげを送る方にしては、喜んでほしい、その土地を感じてほしい、お菓子を買って軽く済ませることをしたくない、とさまざまな思いがあったりもする。

オイラの答えは、『楽しんだ記録を楽しんでもらうこと』としたい。
旅行中に押したスタンプラリーを1つ開けておいて「今度行っておいで」ということや、回った寺社仏閣のパンフレット、旅館からもらったタオルなど、自分たちがそこへ行ったからこそ得たものこそ、唯一無二のおみやげだ。
そうしてもらったものこそ、心から喜ぶべき、いや喜ばなくてはいけない、喜ばないと東京湾に沈められても文句は言えない、そんなお土産になるのだろう。

そして、そういった物質的なものも確かにおみやげになるのだが、一番のおみやげはなんといっても腹の立つほどの旅行後の、とびっきりの笑顔である。
特に腹が立つ、旅行期間に仕事をこっちに押し付けといてのその笑顔には、その後お返しに民族の仮面をおみやげにされうるものだろう。
呪いの元凶をめぐって家に来たところに、玄関に収まり悪く飾ってある木彫りの熊はどちらかが殺しうる凶器になりうるので、やはり家に置かずにおみやげとして誰かに渡しておくのが、正しい。