思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『故障』


故障することは、命を取ることになる。
この間、乗り込んだエレベータにそれを感じた。
まず、『閉』ボタンの反応が鈍く扉が閉まらないのだ。
「変だな〜、おかしいな〜」とは思ったが、さらに目的フロアのボタンを押す。フロア階数の点灯はするも、またしても反応が悪い。
そして、ついにはボタンの反応としてではなく自動的に扉が閉まると、エレベータは動かず。
身の危険を感じ、『開』ボタンを押して脱出できたが、気持ちの良いものではなかった。
とりあえず、あのあと誰かがそのエレベーターに閉じ込められていたとしても、煮こごりに閉じ込められたハモのように、必然性があってそうなったのだろう、と思うしかない。
閉じ込められるだけだったらまだしも、急にエレベーターが落下したらどうなるかという恐怖は、煮こごりを床に落としたことがあるなら、ご理解いただけるだろう。

他にも、チャップリン映画『モダン・タイムス』の自動昼飯食わせ機の故障は窒息死するし、そもそもターミネーター2のシュワターミネーターも故障したら、主人公たちはすぐ死ぬ。
機械には故障がつきもの。ならば、我々人類はそのとき、どのようなおこないすればよいのか。

その時は、自分のだけではなく、他人の走馬灯にアクセスできると助かる。
エレベーターが落下したり、ターミネーターに首絞め上げられたりした時、やはり自分一人の走馬灯では限界がある。なんとかして、今この瞬間それぞれの頭の中で巻き起こっている走馬灯を見ることができれば、何かしら生きるためのヒントがあるかもしれない。走馬灯を見ることができるのは死にそうになっている時のみ。
走馬灯を見られたら、生きるためのヒントを得るための他人の走馬灯を見られるヒントもあるかもしれない。
そしてそれは、時間にしてきっと1秒にも満たないのである。

現時点の走馬灯見たさに、興味本位で故障してそうな危ないものなどに近づいてはいけない。
あなたのお母さんは、そんなことのためにあなたを産んだのではないことは、走馬灯を見るまでもなく、わかることなのだから。