完全にオイラのことですね。
特に世間的には大きいこともせず、ただただ、やっとこさ見つけた仕事をヒーヒー言いながら働いて、飯食ってサブスクで映画見てグースカ寝てるだけ。
そんなオイラにも、
「あ、これ、魂かな?魂から来てるのかな?」
と思うこともある。
それを感じる時というのは「食う時」である。
そう、オイラが魂を感じるとき、すなわち生きていることを感じるときというのは、せいぜい食う時なのである。
スシロー。ありがとうございます。(おじぎ)
セブンで買ったブリトー。ありがとうございます。(敬礼)
半額になった幕内弁当。おいしいです。(握手)
もう、食べ物に関してはいつも感謝ですよ。
ありがたいことに、この日本では500円で超美味いカツ丼が食べられる。
食べ物に関しては、貧富の差が少ないもんね。
だから、オイラのような『社会的一寸の虫』も食べることは大きな喜びを得ることができる。
どんな世の中に役に立つ薬を作った研究者も、言ってることとやってることが違う政治家も、一生懸命金属を削ってる作業員も、ポールダンサーも、食べるということで感じる『美味しい』は変わらない。
すなわち、魂の一致が起こるんですよ。(迫真)
だから食事を一緒にするとみんな仲良くなるんだね。
食べてる時だけは、好き嫌いはあれど、みんな味覚がめちゃくちゃ違うってことはない。
普段なかなか顔を出さない『五分の魂』が出てくるので、やっとみんなにオイラだってここにいますよ、と胸を張ることができるっちゅうことやね。
たまに満面の笑みとか出てくるから、食べるフィールドにいることで、試合に参加できてる感を感じることができてる。
まあ、食事が終わるとまた他の人と魂が混じり合うことはなくなるんだけど。(共通するものがなくなる)こんなことで、いいんです、いいんですよ。
オイラにもひそやかな魂、あります。
p.s.一寸の虫にも五分の魂、互いにみんな敬意を持とうという、素晴らしい言葉です。
※「一寸の虫にも五分の魂」を無理矢理使うシチュエーション。
・しみじみと、一寸の虫にも五分の魂。
しみじみとしちゃったんでしょうね。
自分のことだったり。虫かなんか観察して、「へえ、水の中に落ちたのに、粘るんだなあ、こいつ」と思ったり。
みんなみんな生きてるんだ、友達なんだ。
・一寸の虫にも五分の魂感はあったけども、免許皆伝。
相当な努力家。恵まれない体格だったとしでも。
頑張れば免許皆伝まで行くんでしょうね。
日々研究、日々研鑽。毎日素振り1000本!みたいな。五分の魂がかなり磨かれてピカピカなんでしょうね。
・現人神にも五分の魂。
逆に五分しか魂ないの!?あるいは神様だから、魂はないんじゃないの?
まあ、それは一般人には分かりかねるところだけれど。
あ、人間であり、神様でもあるからちょうど五分の魂なのか。
納得。