思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『訓練』

 

訓練したら、オイラでもピュアハートを持てるというのだろうか。

訓練という言葉は、避難訓練自衛隊員のための言葉だと思っていた。
学校の避難訓練には「地震が起きたら速攻で家帰ろう」と、訓練そのものにリアリティを持てず授業時間が削られることだけを望んでいたオイラだが、避難訓練をしてグラウンドが一番生存確率が高いということを納得行くまでコンコンと教えられれば、もちろんやっていたはずだ。
40歳になった今、疑う心を解き放ち『ピュアなハート』になりたくて。
そのための訓練法というのを知りたい。

やはり、純なる心を求めてどこかで指導をお願いした場合は、そこの指導教官もピュアハートをお持ちであらせられると想像する。
そんな教官から、どのような訓練法を提案されるのか。
きっと、その教官の持つ歴代の魔法少女たちが使用したであろう様々な形のステッキを貸与され、背中に天使の羽根のオブジェを背負わされ、変わりたい願望を昇華させるかのごとく、そのステッキを持っていた少女が変身するときのセリフを何万回と言わされるに違いない。
ピュアハート指導官は当然、『感謝の正拳突き』と同じように、そのセリフと変身アクションを何万回とされているのだ。道は険しい。
指導官くらいになれば、コスチュームのまま街に出てそのピュアハートぶりで人々の心に巣食う魔物を燻り出すことだろう。
オイラとしては、そのコスチュームは心に一生しまい込み、ただただ、その人の周りを舞っている目に見えない天使だけをとらえることに必死でありたい。

訓練というのは、『鬼』になるものがいなくてはならない。
教官が鬼になるのか、一人で訓練して自分自身を鬼にするのか。
オイラとしては、一人では心もとないので、できるだけ近しい人と、契約的に、鬼ごっこをしたときにタッチをすることで鬼を交代するように、あるときは教官的立ち位置、あるときは訓練員として、二人で積み上げていくのが恨みっこなしで良いだろうと思う。
ピュアハート教官が厳しすぎて喧嘩になり、魔法少女の格好をしながらそのステッキ片手に、双方のわき腹をえぐり合うような光景を、駆け付けたピュアハートの先輩たちには見せたくないものである。