濁しっぱなしの人生ですよ、オイラは。
物事をハッキリ言えることなんて少ないっす。
だからこそ、このお茶をにごすという行為は体の芯まで染み渡っている自信がある。
例えば、「お仕事は?」と聞かれて。
「なんとなく、生きてく程度にやってますよ」なんつってね。
「あなたの趣味は?」って聞かれたら。
「趣味は・・・生活ですかね。」
なんていって、相手の欲しい答えを返していない。
実際、このブログが趣味です、なんて言っても理解はされないでしょ!
だから言ってもしょうがないし、仕事は言わずもがな、特に面白いことも言えないからね。
オイラはこのお茶をにごすというスキルでなんとか今まで生き延びてきたようなもんですよね。
まあ、自分はそもそもが意識的ににごすことなくもともと濁ったお茶のようなぼやけた存在な気がしますが。
でも、いわゆるこのごまかす行為、ってうまくハマったらなかなかの快感を得られるんですよ。
うまく誤魔化したって、よくいうセリフがあるじゃないですか。
例えば、奥さんがきゅうりのぬか漬けを作ってくれて、それが自分の舌に合わずに飲み込むように食べたとき。
奥さんに、「味はどう?」なんて聞かれて。
「うん、カッパだったら皿が潤ってるだろうね!」
なんつって、自分の意見じゃなくてカッパにすり替えたりして。
なんかそれで、奥さんもおかしいなと言うような気もしつつ、褒められている気もするから、微妙にうなづいたり心持ち喜んだりして。
そのあとにお茶をにごした旦那の方は、なんかこう、自分がうまくごまかせた安堵と頭の回転の良さに心のほくそ笑みが顔に少し出たりしてね。
これが、なんか不思議な魔力を持っていて、また誤魔化したくなってくる。
なので、オイラは、ごまかしイリュージョニストとして、もっともっと、相手を傷つけず、自分も楽しくなるようなごまかしをしていければ、優しい世界にまた一歩近づけるんじゃないかな、と思っている次第。
もっとも、長年連れ添っている相方にはもうそんなごまかしは聞かず、言った瞬間から秒でツッコまれたりしてますが。
p.s.お茶をにごす、というのは上手に生きるための知恵。極めれば、イリュージョニストになれる。