思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

若いときの苦労は買ってでもしろ、とは言うけれど。

とは言いますが。

 

オイラは積極的かつ持続的な苦労ができないタイプでして。

 

苦労は買わずに楽なほう、自分に合う方として選んでましたね。

 

 

仕事。

 

趣味。

 

人間関係。

 

夢。

 

 

まあ、苦労できない。

数日〜数ヶ月でやめちゃうからね。

 

そして、そんな自分に頭を抱えたりして。

これ、どうにもならなかったんですよ。

今でこそマシになって続くことも多くなってますが。

年齢がそうさせてくれたのか、環境が変わったからなのか。

 

 

ホント、この『続かない』っていうのが苦労だったね〜。

 

どうにか世間に入ろうとしてたけど、うまくいかない。

自己肥大してたのかな〜。

プライドが高かった?うん、それもあるかもしれない。

 

ただ、今考えりゃプライドで全身固めるより、ワンポイントだけ押さえてあとはユニクロをまとうような気軽な気持ち、というような気の持ちようで良かったんだろうな。

まあ、当時は当時で自分なりに一生懸命悩んでたけど、それでも気付けなかったんですけどね。

 

 

そう、人生の師匠でもいたらな〜。

 

 

「これこうこうして苦労しろ!」みたいな。

 

「真っ白な気持ちで横断歩道の白いところだけ歩け!」とか。

 

 

無いものねだりですが、いわゆるメンターってやつですか?(自己啓発本で学んだ)

そういう人が身近に入れば、オイラもまた一味違った世間に食い込んだ人生だったのかもしれない。

 

もっとも、そのメンターにも求めるものが大きすぎて、あるいは人との関わり方も自己肥大が原因でうまくなかっただろうから、うまくいかなかったんだろうねえ。

 

お金が稼げて、ユーモアがあって、理解力もあり、オイラを特に気にかけてくれる人。

できれば前澤みたいな人だと良いよね。

 

 

そんな人いる?

 

 

いや、どこかにはいるのかもしれない。

しかしいたとして、オイラと親しくなる要素がどこにあるのか。

目に見えて何か高い志しを持っているわけでもなく、ただ自分の内面の暗い暗いトンネルを抜けようとしている成人男性に何を施されるのか。

年齢を重ねて徐々に太っていってる普通の成人男性に。

 

そうなったらメンターは諦めて、自分で『買ってでも苦労したいもの』を見つけるしかない。

 

 

 

その後結局、やりたいこと探しにメンター探しのどちらも、苦労したけど見つからなかった。

 

でも、見つからない苦労はしたわけで。

そのおかげで「そもそも今ここにいること」が良いことなんだと気づくことはできたね。

 

最近見たディズニー映画『ソウルフルワールド』がドンピシャだったけど、生きる意味は何か目に見えてわかるものだけじゃない、ってね。

 

 

もしかすると、こうやって悩んでたことその行為自体に生きる意味があったりして・・・!

 

 

まあ、どんな人生も、何もかも間違いじゃないんだよね。

 

 

p.s.若い時の苦労は確かに経験になるんだよなあ。

何か考えて苦労する経験は、その後の人生をより違った角度で捉えられるようになるからねえ。