スーパーでパックのだんごを買って帰ると、すでに3パックほど家にあった、といったことがあった。それでも、何らガッカリ感は無い。多少の賞味期限は気にせず食べられる。
だんごとは、お手軽、お値打ち、なんだか旨い、の飲む、打つ、買う、の昭和イケイケ時代の典型的な親父のような三拍子揃った食べ物である。
もっと言えば種類も豊富で、あのお米由来のもちもち感もあり、猿とかキジとかもその旨さゆえ、死ぬ可能性も高めであろう鬼退治に行ったのではなかったか。
昔、都内のある商店街で、だんご屋が目に入り、その中でレモン餡のだんごを買ったことがある。
さすが専門店、レモンの爽やかさがあり、アンコの甘さも控えめで、一日中家にいる時に開けてないカーテンの隙間から刺す日の光のような、心を晴れやかにしてくれたものだった。
だんごの値段は安く、98円。
しばらくしてその店の近くを通り過ぎると、あの時のお店は異空間ゲートが開いていただけだったかのように、店はたたまれていた。
しかし、落ち込んでいる暇はない。我々にはパックだんごがまだある。
優秀な兵士がひとり失われたからといって立ち止まるわけにはいかないのである。
オイラは家に数パックのだんごがある状況というのは、弾薬を貯蔵しているようで、少し安心があるように思う。
家にパックだんごがあれば、そのだんごは家庭での興味のない話のときに頃合いを見て、弾丸のように口に補充されては発射し、人笑い咲かせられる技法が使える。
興味のある話になったなら、口の中で嚙み砕いておいただんごを生唾を飲み込むタイミングで飲み込むと集中して話を聞いているようで効果的だ。
鼻炎アレルギーのくしゃみで家族に迷惑がかかると病院に行くお金を使うのなら、鼻より団子、団子を大量購入し、それを飛ばしたり飲み込んだりして冷え切った家族関係をウォームアップできたらしてほしいという願う気持ちになったのである。