思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『高齢者』

 
薬ができたというが、認知症はいかんせんまだまだ厳しい病気だろう。
おじいちゃんおばあちゃんがボケてしまうと家族同士での諍いが起きて殴り合いになることもあるので、そうした時はタカラトミーから発売されている『拳闘士』シリーズなどで決着をつけることにするなど、健康な時から習慣づけとくのが良い。
 
先日、マックで100円のコーヒーを飲んでいると、高齢者の方々の井戸端会議が始まった。
オイラの隣の席におじいちゃんが座り、また別のおじいちゃんが来て二人で演歌がどうのこうのと駄弁り出し、さらにそのおじいちゃんの少し離れた席のおばあちゃんとその夫に話しかけ、と、高校生やビジネスマンが多数を占める中、そこだけが異質の空間であった。
おじいちゃんたちみなさん、別に気にしちゃいない。マンションに洗濯物が干されてようが一軒家の自分ちで焼き肉をやるようなマイペースさがそこに垣間見えた。
こういうコミュニケーションこそが、頭がハッキリしている期間を長くして結果的に孫をできるだけ長く世話するためには良いのだ。
 
そして、やはり気がかりなのは、オイラが歳をとっていって、どのくらいボケずにいられるか、ということである。
思えば、本質的に無趣味な人間なのだが、無意識にでも常に何か認知症を予防できるような趣味を常に追い求めている。
筋トレ、脳トレもやりつつ、一生楽しめる趣味をサーチしていて、相変わらず『釣り最強説』が揺らいでいないが、その趣味は虫とか金とかもろもろでやってない。
金持ちで優秀なお見合い相手と結婚したら幸せなのに、心には貧乏な幼馴染みが居着いている、といった感じで、合理性ではモチベはあがらない。
今のところ、音読が脳にいいというので風呂では伊坂幸太郎の小説を声に出している。
 
言っても天然ボケなところがあるオイラ。
もし子供がいたら、いつ認知症になったかがわかりづらいことになるかもしれない。
家族を『拳闘士』自体で殴ることにならないよう、早めのサインとしてガラス戸とガラス戸の間を三往復連続でぶつかりごけたら、ケアマネジャーに連絡するよう家族には周知して起きたい。