思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『ため息』

 
ため息には幸せを呼ぶことはできないのだろうか。
 
先日、ため息でメロディを奏でられたことがあった。
バスの後ろの席から「はっ、ふ~」と、ため息を吐くような声が聞こえたときのことだ。
最初はなんだため息か、と気にもせずにいたら、少し間をおいてさらにその「はっ、ふ~。」は続けられる。そしてそれ自体がどんどん連続で発せられているしのだ。
とくに苦しんでいる、というわけでもなさそうで、それは鼻息のようにも聞こえたり、オイラに吹きかけてるような気がしたり、したのだが、その連続性のある「はっ、ふ〜」の謎が次第に解けてきた。
その「はっ、ふ〜。」は音楽性を持っていたのである。
そう、それはため息によるメロディーだったのだ。
そこには、ため息による不幸せな感じは微塵もなかった。
 
そもそも、ため息を吐くと幸せが逃げると言うなら、ため息を幸せの中に組み込めば良いのではないか。
そこで、製造、販売が待たれるのは「ため息用ケーキ」である。
ため息を吐きたくなったら我慢して、ため息用ケーキを買って、家の扉を開けるとそこはなぜかクラッカーの嵐。DJがごきげんのナンバーをかけていてみんな踊り狂って。
一しきり飲んで騒いだあとで、ため息を吹きかけるろうそくに着火。
満を持して、ため息を吐くのである。
 
このように、ため息を適所で発するようにして、幸せをやってこさせよう。
え?それでもため息吐いたら幸せが逃げてしまいそう、って?
ならば、大きく息を吸って溜めた息は吐き出さずに呑み込んでケツから吐き出して、くまさんも小鳥さんも喜ぶような陽気で愉快なメロディーを奏でよう。
そう、NO MUSIC NO LIFE、音楽が奏でられれば、幸せはすぐそこなのだ。