「本当に、好きでいていいの・・・?」と思わせられるものがある。それがコーヒーだ。
結局身体にいいのか悪いのか、ネットで記事を見ていると、やれ飲み過ぎたら発がん性がどうだとか、集中力が増すから飲んだほうがいいだとか。イソップ童話の『ひきょうなコウモリ』のように、その都度どっちの意見の群れに入ろうとしてしまう。
最近は18パック入りで400円もしないドリップコーヒーを美味いと思って飲んでいるが、どうにも興奮作用が強いようで、鉄は熱いうちに打てと言わんばかりに、コーヒーの旨味が落ちないうちにチョコレートを急ぎ食いし、その甘さが脳への到達するか否かのそのとき、即座にまだ温かいコーヒーをがぶ飲みし、喉をいがらっぽくしても「やめられねえ・・・」とつぶやき、という自分のコーヒーを美味しく飲み切る成功体験への情熱は、3、4分で切れてしまうかもしれないので、早目に飲みきろうと必死になってしまう。
いやあ、コーヒーの興奮作用は、恐ろしい。
また、輪をかけて超個人的な好みの話だが、パピコ形式以外のコーヒーアイスを食べたいと思う気持ちが湧かないという問題も抱えている。
コーヒーゼリーは美味いし、コーヒーガムも甘めだがアリだ。しかし、コーヒーアイスには、どうもあの甘みと苦味のぼやっとした、インパクトのなさが苦手なのだ。
パピコのいいところは、客に『固体を液体のように吸わせる』、というところだろう。吸い込むことでインパクトが現れ、ガツンとしたコーヒーアイスの甘み苦味とありがたみが一度に舞い込んでくる。
パピコは、本当のコーヒーでないのに不思議と頭が冴え、眠気に聞く気がするのだ。
ゲイシャという高い豆を挽いたコーヒーがある。
高くて一生手が出そうにもないが、もしそれを飲むことができるとしたら、ただならぬ興奮とパニック、心臓が十二指腸と入れ替わってしまったり、めまいなのか横のものが縦に縦のものが横に入れ替わるように世の中が変わったように見えるかもしれない。
そんな冗談みたいなパラレルワールドにトリップしてしまったときは、ゲイシャコーヒーにパピコのあの甘さと庶民感をぶちこめれば、現実世界に戻ってこれるはずだ。
キャビアでもa5ランプ肉でもおいらにとって高級品は胃の中で麻薬的な作用を発揮する、そのときは、人口的いくらっぽいやつと、オージービーフをスタンバイさせておくである。