思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『砂糖』


空前のダイエットブームにより、砂糖はどんどん嫌われていっており、一説によると、一つの製糖会社が傾くくらいのように聞いている。
そうは言うが、どんなコンビニスイーツにも砂糖は使われており、ダメだとわかっていても食べてしまうその魔性なところは、新喜劇でやる山田花子の「カモ〜ン!」の魔性性では決して到達できないだろう。

若い人にはその成分のハイリスクぶりから敬遠され、高年齢層は糖尿病街道をまっしぐらにされる道先案内人として憎まれる。
いったい砂糖は起死回生の策としてどの層にターゲットを絞りアプローチをしていけばよいのか。

意外に、外国人のヤンチャな層の、ある意味でおおらかな人たちの助けを借りると良いのかもしれない。
たとえば、砂糖のタトゥーを右肩あたりに入れて、ポケモンのタトゥーとか、パッと見では意味がわからない漢字の「無料」と書かれたタトゥーなどという好きなものの中に、砂糖のタトゥーも入れてもらえたらその層の砂糖への意識がポジティブになるかもしれない。
ついでに、その外国人の左肩には「佐藤」と入っていると、右肩とのシンメトリーを獲得しているということができ、カッコいいのでやってみるなら個人的にはアートを感じる。

他にも、同じく取りすぎると身体に症状が現れてくるが砂糖ほどではない『塩』の文化を拝借して、玄関先に『盛り砂糖』を流行らせるのもやってみるべきことかもしれない。
盆菓子でみるように砂糖で霊たちをおびき寄せたところを、おにぎりの最後に振りかける量くらいのお塩できっちり清める。『美人局的方法で、あなたのおうちのガードはバッチリ』というようなキャッチコピーで怪しい占いでも金次第で広告を載せそのてくれる主婦向け週刊誌の広告に載せても、雑誌の提灯記事にしてもらっても良い。
しばらく日の目を見なかった『恵方巻』も、企業がうまくやったので、なんとなく、それっぽく世の中に組み込まれた。『盛り砂糖』も、気づいたらそこにある、を目指そう。

なんやかんや砂糖とは、一級の嗜好品には欠かせないものである。ゴディバステラおばさんのクッキーに、砂糖が使われていなければ、そのお菓子は物足りなく、ゴディバでならぬ「ディバ」、ステラおばさんでなく「ラおば」のような砂糖がないことでどこか物足りないブランド名でしか脳内に定着しない。
砂糖のあまり入っていない『95%カカオチョコレート』は病みつき度と引き換えに健康に良いと謳われている。しかし、それも物足りない。
なので、盛り砂糖を盛りすぎたなら、95%カカオチョコレートにちょっぴり追加で砂糖を一なめ、いかがですか。