思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『日記』

日記には、怨念めいているものが多いと聞いたことがある。
上司からの「今、それ必要!?」というタイミングでのコピーの指示のことや、会社の食堂で「なんか私の悪口を言ってる気がする」と気にもんでしまうことなどを全て日記書きだして、それついての怨みつらみも一緒に書き綴られている、ということなのだろう。
しかし、それを書くことによって本人の心が浄化され、職場のあだ名が『マザー・テレサ二世』だったり、24時間テレビで設置されている募金箱に寄付するモチベーションを保てたりするものだから、その人にとってそれは必要なことなのだ。

だが、裏の顔を持つようで罪悪感にさいなまれる人も中にはいるだろう。
そんな時は、毒を食らわば皿までというがごとく、罪悪感ついでにその恨むべく人がいつ死ぬかの死相を見るための死相講座を受けて、いつその人にそれが出てくるかを、微笑みながら観察するのだ。「今日は死相なし」「今日は少し血管が浮き出気味だったが死相なし」と、それをまた怨みつらみ日記に記録すれば、より日記の完成度が高まり、罪悪感はどこかへ行ってしまうはずだ。

毎日、自分にストレスを与えてくる周りの人々。そういう人たちの相を見ておけば、心が安定することもある。
ただ、実際に死相が出たときには、マザー・テレサ二世のような優しいあなたは、きっと、穏やかにもその同僚らにマジックで眉毛を書き足して、相を変えようとする優しさを発揮するだろう。
幻のマザー・テレサよりも、変なやつと見られても、人命を尊びたいものである。