思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『熱血』


はたして、熱血できるのはいつまでだろう。
熱血教師という言葉があるが、とんとそういう人物の話を聞かなくなった。
それは時代のせいもあろうが、みんながまだたぎっていた昭和の後半に竹刀を振るっていた彼らが、歳をとったからという可能性もないだろうか。
例えばもうすぐ定年退職の生徒指導部を長年務めていたである英語教師が、小中学生にLとRの違いを入念に発音、ときに入れ歯を飛ばしながら指導している様子をオイラは耳にしていない。
熱血というのは、どこか独りよがりでなもので、「自分がそう信じるから」をスペシウム光線のようなビーム圧力で周りに押し流そうとする。
教師でいる年数が経ち世の中を知っていくと、どんどん自分のやってる指導が疑わしくなって、パワーを失うものなのだろう。

また、時代が進み、熱血指導をして、子どもたちにそのツバがかかろうものなら親たちは鬼の形相で飛んでくるだろう。
当然、昭和時代と違って、ただ「自分がそう思うから」という動機で科学的根拠もない根性論を振りかざして子どもたちに無駄なストレスを与えられたり、自分が気に入らないからといってゲンコツをされて頭の細胞を減らされたり、バカでかい声を出されたりして耳の鼓膜が破れたりされるのを恐れてそうするのである。
そんな、もう目に炎を灯しながら、これが俺のベストだ、と思ったことを押し付ければいい時代は終わったのはみなさんご承知ではあるが、その内なる「熱血」を人にふりそそぎたいたい場合、どのようにすればよいのだろうか?

それは、Vチューバーになることである。
綴りミスに対しての書き取り1000回とか、水を飲まずに大きな声で、間違えた単語の「Method」を1万回言い続けろだとかいう『熱血指導』をされても、青と水色のツートーンのロングヘアーで竹刀は淡い黄緑色、胸元のホイッスルは鳩の形をあしらえたものを身に着けたその見目麗しいその姿で、耳元のイヤホンから聞こえるそのキラキラと光ったようなボイスで「ごめん、指導させてね?」とささやく『熱血指導』なら、何を言われても受け止めたくなり、生徒も思わず今年のお年玉全部を投げ銭もしたくなってしまうのである。
そのために、熱血教師側も、その熱血で、Vチューバーになるべく頑張らなければならない。
大丈夫、グラフィックとボイスは変換されるし、態度と喋り方をマスターすれば良いだけだ。

また、たとえばVチューバーに興味がないほかの子どもたちなどへの熱血指導は、みんなにレアアイテムを配ったり、TikTokのダンスする子どもたちのカメラ係をしたあとに、指導したくなる気持ちが込み上げてきたら、対戦形式のスポーツチャンバラの試合の用意をして、大人と子供という能力差ありの中、寸止めしながら相手の心をくじき、言うことを聞く状態にしてやっと、「先生と一緒に腕立てをやろう。今の君の筋力をこの計測器で測ってベストな回数は・・・11回からだな」と、まだるっこしい方法で、相手を心の中から変わるよう、根拠を示しながらの熱血指導をしなくてはならない。
そんなことを熱を入れて今回書いた次第である。