思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『一気読み』

漫画の一気読みは、おっさんを、ときに虚しくさせる。
主人公が少年だったり、勇気がある人物だったりすると、共感しかねるようになってくる年齢、その境界線が40歳だと言っても過言ではない。
そして、勇気も頑張りもないものが主人公の漫画は端に追いやられ、『一風変わった漫画』枠にはめ込まれ、ひねった漫画扱いになるし、オイラも読んでいて理解できないも多い。
反面、わかりやすいのは更にわかりやすく、少年漫画で物語が大きくなると生まれでその才能が決まっている話は多く、「結局、努力できる"能力"があるやつが勝ちかい!」と、世の中の当たり前にツッコミを入れたくなる気持ちが生まれる。
こち亀が終わった昨今、頑張らないおっさんに救いとなり理解しやすい、努力など関係ない漫画は『ハンチョウ』くらいしかないのか。

しかし、小学生からずっと、漫画自体は好きである。いや、好きであったが、上の理由により、どんどん読むものがなくなってきているように思う。
少年漫画はいまだに努力友情勝利とオイラが持ってないものばかりで構成されてるし、青年誌でも、オイラと境遇こそ似ているものもあるものの、みんな何かしら決断し頑張ってうまくいく、という生命の必然はどうしても織り込まれている。

なので、もう、人間ではなく海とか森とかの自然を中心とした漫画を見てみたい。擬人化なしで。
海目線で海水浴に来た人間の楽しそうにスイカ割りをしているところや、沖の方まで行っておぼれてしまっているのを見て、海だからこそ、とくに怒りもせず、笑いもせず。ただ、そこに起きたことの必然を噛みしめる漫画を今、要求したい。
しかし、海だからこその心の波立たない、揺らぎのない漫画はもちろん、海の気持ちがわかる人にしか描けないだろう。
それはイルカに乗った少年。城みちるであろうか。
いや、やはり、八十代後半にしてまだゲーム好きの海の男、『若大将』にそのゲームに向けた情熱を今度は漫画を書くことに注いでいただけたら、と無理な注文が頭に浮かぶ。
ここは、名前からして海っぽい、川島海荷あたりが持っているポテンシャルに期待してみよう。

老後に、たくさんの漫画を一気読みしようとしていた時期が、僕にもありました・・・
しかし、多分その時は漫画を読む感性が変わり楽しめなくなっているように思う。 
ただ、日本の世界に通用するカルチャーでもある。
昔、『少年ジャンプ』を読んでいた漫画好きがいずれオイラのようにもう子供心を持たなくなる日が来る。
そうしたときに、いつか満を持しての、『老年しゃがみこみ』が創刊されることをオイラは待っている。
オイラが爺さんになったとき、悟空もハゲ丸も一撃弾平も、みんなじいさんになって農作業やゲートボールをしている姿で誌面で会えるのを楽しみにしているのでおる。