思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『マイク』

 

本人に想いがあっても、それが伝わらないことが、やはりある。

頻繁にバスに乗ることが多くなったのだが、その路線のバスの運転手は声のトーンがバカ丁寧だった。
通過する停留所の「〇〇停留所通過します」、降りる客への「お気をつけていってらっしゃいませ」と言う運転手には、慈しみすら感じられる。

ただ。

マイクの音量がデカい。

朝からその運転手の元気さがマイク越しに伝えられてくる。
しかしこっちは頭痛持ちである。
スピーカーから聞こえてくるその声は、頭がズシッとのしかかる。
運転手も、自分の声がどれくらいで客に届くかわかるだろうに。

しかし、不思議とそこまで嫌な気がしないのは、運転手の声のトーンである。
もしかしたらその運転手は実は貯金が、8桁の0画並んでいることからの余裕だろうか。それを達成、維持のために靴下の指の全ての部分に穴が空いていても買え替えずずっと履いているかもしれないし、割れた茶碗ばかりが食器棚においてある可能性はゼロではない。
もし、そのように貯金額が声のトーンを良くするなら、声優業界は年収をあげるべきである。

しかし、逆にまた、昨日競馬で借金こさえてしまいその破れかぶれからくる丁寧さの「揺れが強くなる箇所がございます」だったのかもしれない。
また、運転手だって日本人だ。
察して欲しい、察したいの文化の中でのその狂った丁寧さは「敵かな?味方かな?」的な謎めいたアプローチだった可能性もある。

他にも、もしかするとマイクの音量が大きかったのは、ただ『良い人アピールしたい気持ち』が大きかった日だったのかな、とも思う。
だが、マイクの音量は大きかったが、そういった気持ちはあまり伝わってはこなかった。

運転手にはその慇懃無礼にもとられかねない丁寧さの答えを教えてほしい。
もし仮に、オイラが運転席まで答えを伝えに行って正解だったらひそかに運転手自身で降車ボタンの「ピンポン」を鳴らしてほしいものである。