思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『エビ』


エビの唐揚げには、人間の責任を果たしている。
鯛のおかしらつきは尾っぽとカシラは食べきられることはないが、エビの唐揚げは頭から尻尾まで余すところなく食べられ、しかも上手い。
人が生き物の命をいただくのだから、できるだけその身を全部食べきってあげたい。
そういう意味では、皮まで食べられるバナナなんかの開発には、人が知的生命体であることと、世界のあるゆる物質への敬意を感じ取れる。
皮まで食べられるなら、廃棄する部分もないし、地球上最もポピュラーなミスとしての「バナナの皮で滑る」ということもない。
そこに、愛を感じる。

今回、なぜ、食の責任について今回書き綴っているのか、というと、「ビックリマンチョコのチョコウエハースを食べて育ったタイプの人間だから」である。
それは、ビックリマンチョコのシールだけを取り、チョコウエハースは捨てるタイプの人間と対になっていて、チョコいらないからやるよ、と言われ続けた側の人間が大人になると、食べ物を粗末にしない責任感が必然的に身についているのである。

エビの唐揚げにレモンをかける場合、これに関してはレモンの皮までは食べられないので、完璧なる愛とはいえない。
なんでもあげれば美味いの法則を使いエビの唐揚げにレモンの皮のから揚げも添えられるなら、そこに愛はある。