思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『戒め』

 

自分のおなかの写真をスマホに入れてある。
これは、自分に対する『戒め』のためである。
どんな戒めかといえば、「もう二度と腹筋割りたいとかいうんじゃねえぞ!」という戒めである。写真は、腹筋をやめて数日後の膨らんだ、アイスを食いまくって出っ張った、『アイス腹』である。
この40年、腹筋を割りたいと何十回も思ったことがある。
そして、腹筋をその度、数日間はやってみるのだが、その都度、邪魔が入る。
腹筋を鍛えなくては、体を動かそうとすると、動こうとする方向からの空気抵抗の邪魔が入るのだ。自然の力には逆らえない。そのまま体を横にして、小一時間ほど眠るのである。

とまあ、自然のせいにしていても、何も始まらない反省をして、もう腹筋を鍛えることはできないのだから、余計なことをしようとするんじゃない、と腹写真を目に入るように配置しているのだが、最近また、その戒めを破るかのように腹筋を割ってみたい欲が湧き出てきている。これは危険だ。
どうにか戒めを破らないようにしなくては、と、手足をぐるぐる巻きにしたり、腹筋を鍛えるのとは逆の動きであるブリッジ状態でいられるよう意識して生活をしたとしても、人間の欲というのもまた自然の力の一つなのではないか、ということに気づいたりして、数十回目の腹筋を割りたいという野望はまた燃え上がる。

「お父さん、もういいじゃない、その戒めを解いてあげたら」オイラの中のお母さんが、息子が無謀な夢に立ち向かうことを許してあげたら、というような言い方を、心のなかで投げかける。
いいや、腹筋をまた始めたら、また途中でやめて、傷つくことだろう。許すことはできん、と父ながらに息子を大切に思う気持ちをオイラの中の母さんに伝える。
しかし、心の親の言う事など聞くはずもなく、オイラは結局父の言いつけ、もとい、戒めを破り、また勝手に腹筋をはじめ出す。

大丈夫、腹筋が割れれば、お父さんも見直してくれるさ。

そうして、引き締まったシックスパックを目指す旅に出るも、多くの場合は年末にはその腹にはおたふくが書かれ、忘年会の余興として、波打ち、揺れ、それ相応にゆかいな腹筋の表情をみんなの前にさらけ出すのである。