思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『掲示板』

 

5ちゃんねるには、「言い得て妙」の達人がゴロゴロいる。極端な解釈だったり、モラルがなかったりもするものも多いがが、少なからず人を楽しませようという気持ちを感じるものに対しては、それを素直に受け取って笑ってしまうこともある。
ただ、その書き込まれた内容については全く覚えていない、という、消費型エンターテイメントのトップに君臨するものでもある。
文字だけの媒体なのと、ストーリー形式を取りづらいので記憶に残りづらいのか理由とは思うが、それでもあの掲示板でやり取りされている書き込みは、やはり『言い得て妙』レベルが高い。
そこで、そんなワードセンスがある人たちを集めて、シェアハウスをやってみることを提案したい。
もしかしたら、彼らのそのクレバーな頭脳は共鳴しあって新しいアイデアが生まれるのではないか、既存の枠にとらわれない新鮮な文化が生まれるのではないか、と彼らの書き込みの上手さを考えるとワクワクすることこの上ない。
シェアハウスは、どこでもものが書き込めるように、家一棟、床も天井も壁も風呂もホワイトボードを貼って、いつでも書き込みができるようにして、それに他の『住人』がレスを書いて、また違う『住人』がレスを書いて。
リアルごちゃんねるだ。
しかし、本当にリアルごちゃんねるにするなら匿名性も考慮しなくてはならない。
誰が書いたかわからないようにするなら、住人には顔を隠して、例えばショッカーなどの統一したマスクを被り、ショッカーなどの黒タイツを被ることになる。ある意味、このシェアハウスのユニフォームみたいなものだ。

だが、シェアハウスであるので、誰がどの書き込みをしたのかわからない状態でありつつも、シェアハウスのシェアハウスらしさとして、リビングでタコパしたり、みんなで海に行ったり、時には恋の相談をしたりと、青春も謳歌してほしいものである。

そして、一つ、ここだけはこだわりであってほしいことがある。
便所にはだけホワイトボードを置かないでほしいのだ。
もともと、5ちゃんねるは便所の落書きと言われてきた歴史がある。
だからそのイメージを払拭するために、全面にホワイトボードを張り巡らせても、便所だけは、余計なものはタンク上部のセボンだけ、という形式にしてほしい。
リアル5ちゃんねるといいつつ、負のイメージから離したい。

こういった頭脳の集まりから、常識を覆す何かがまろびでることがあることだろう。それを期待して、この世の中自体を、電車で、待合室で、ホワイトボードを設置して、いつでもどこにでもリアルに5ちゃんねるをする文化があれば、人は、他人の本心と向き合えるはずだ。